I wanna be just like a Lily Chou−Chou.
飽和 飛べない翼 愛の実験 エロティック 呼吸
「人という生き物は、依存という言葉で語れると俺は思うんだ」
「依存?」
「ああ、人だけじゃないな、この世のすべて。すべては依存しあっているんだぜ?」
「依存ねえ」
閑散とした町並み。
赤い海が藍色に侵食されながら黄色の傷口が開いている。
飛沫と散った星たちはまだ透明だ。何を振り掛ければ反応して光るのだろうか。
車のレールから少し外れた場所でカンカン、と少年2人の目の前で黄色と黒の柱が音を立てる。
トンボの目のような丸が交互に赤く光る。
「お前、今マイナスな意味で考えただろう」
「まあ、依存ってそうじゃないか?」
「薬物依存、タバコ依存、依存症。なかには買い物依存症などというものもあるらしいな。確かにそういうものは悪性な
イメージがある。それは否定できないし、実際マイナスイメージだろうしマイナスなのだろう。その、薬物やタバコ、買
い物なんてのは生きていくに当たって、必要不可欠であるわけじゃないからな」
「買い物は必要だぞ」
「動物として、の話だ。まあ狩りや、草を探して歩くことなんかと同じと考えれば必要かもしれないんだがな、ふむ、そ
うだな。野生の動物と人の行動を比較してみればまた面白いことがわかるかもしれないな、ありがとう、参考になった。
今度考えてみることにするぜ」
カンカンカン、と鐘を鳴らすような音があたりに響く。
どこか遠くのほうからごーっと低い、嵐のような音が聞こえてくる。
やがてそれは地震と共に茶色の綱の上を渡ってくる。
「例えば聞いてみようか。お前、生きていくのに必要なものがあるだろう? 生物としてじゃなくても構わない。つまり
金とかもありだ。さあ、何がいる?」
そう聞かれた背の高い方の少年が口を開こうとしたところで、嵐が危険な色をしたゴールテープともうひとつのゴールテ
ープの間を通り抜けていく。
ごーっというその音自体はうるさいものの、すべてをかき消す音のようには聞こえない。
だがしかし、声を出してみればわかる。
出した声は自分の耳にさえ届かない。嵐がそれをかきけす。
あっという間に嵐はどこか遠くへと駆けていく。地震と共に少年2人とさよならをする。
後から風が大きく渦巻いて小さい方の少年が少しだけふらつく。
「空気。太陽。食べ物」
「そう、そういうものだ。お前はそれがなければ生きていけないだろう? ならばそれは依存と呼べるのではないか?
お前は空気に依存している。というか、この場合酸素になるのかな。酸素に依存している。太陽に依存している。食べ物、
栄養に依存している。違うか? 違うというのならこれらをなしに生活していける、とそういう意味になるぜ?」
「依存、してるな」
「だろう? 生物は皆そうだ。生きるためには、『他』がなくてはならないということだ、わかるか? それが、依存だ。
生物は皆、何かに依存している。生きるために必要なものとして、だ。さらに俺が面白いというのは、酸素だな。酸素が
なければ俺達は生きていけない。だがしかしだ。酸素だけあれば生きていけるか? この場合栄養は無視してくれ。空気
がすべて酸素でできていたら? そうなればいいか、生物は生きていけないんだ。高濃度の酸素は確か毒だったはずだし
な。必要なのは少量なんだ。酸素でさえも」
1度止まって途中まで上がったゴールテープはまた途中で降りてくる。
黄色と黒の棒が赤い目を交互にウインクをしながら鐘を鳴らす。
また逆方向の電車が通るらしい。
少年2人はゴールテープの手前でいまだ停止している。
ただ体は茶色の綱の上を向き、顔だけをお互いに見合わせている。
「だが、薬物、タバコ、買い物。これらは必要なものか? 生物として依存が当たり前なものか? 答えは否だ。依存し
ている人間もいれば依存していない人間もいる、そして依存する必要すらない生物達がありふれている。クローバーがタ
バコを吸うか? メジロが薬物を求めるか? アリが買い物などするか? 答えはすべて否だ。人以外の生物は生物とし
ての依存しか持っていない。ああ、もちろん未知の生命体や、発見、解明されていない部分で何かに依存しているという
個性を持った生物もいるのかもしれないのだがな」
「で、何が言いたいんだ」
「まあまあ、そう先を急ぐなよ。順番というものがあるのだよ。だが、まあ段々と主題に近付いているのだからいいじゃ
ないか。例えばお前は趣味があるか? 何でも構わないさ」
「……ない」
「ああ、そうだろうとも。お前ほどつまらない人間はいないからな。ちなみに俺はあるぞ、ありあまるほどにな。誰でも
いい。友人や兄弟姉妹、知人、有名人、誰でもいいからそいつの趣味を挙げてみろ。何でもいい」
「つり」
「ほう、お前が今考えたのは誰だろうな。つり、つりねえ。同級生じゃないだろうね。ちなみに、俺の趣味の1つでもあ
る。なかなか楽しいぞ。そうだな、最近では趣味の中で一番に好きだ。そうだな、俺の同級生にそんな渋くてかっこよい
趣味を持っているやつはいないね。同じ趣味を持っている奴は匂いでわかるからな。つりをかっこいいと思う奴すらいま
いさ。ちゃらちゃらして軽くてにやにやしたようなのが好きな輩ばかりだからね。そうだな、当ててやろう。同級生でも
ないなら家族か、有名人だろうな。知人より先に仲のいい友人や家族、好きな有名人が先に出てくるだろうし」
ごーっとゴールテープと平行に、嵐が通り過ぎていく。
荷物を積んだその嵐は長く、長く、いつまで立っても綱を渡りきらない。
小さい方の少年は肩をすくめてから声を張り上げた。
「さしずめ、君の好きな俳優なのだろう」
背の高い方の少年が口を開いたが言葉は届かない。
彼はちら、と四角い箱の連なる嵐を見る。
向かい合う少年は肩をすくめた。
「まあ、かなり大きな声じゃないと届かないからな。お前みたいなぽつりと喋る声など届かないだろう。いいさ、別にそ
れが聞きたかったわけでもない。話の続きをしようじゃないか」
向かい合う彼が頷くのを見てから、少年は話を続ける。
嵐はまだ過ぎない。
「つり。そうだね、そいつから、つりに関するすべてを奪ってしまおう。否、雑誌程度のものを置いておいた方が良いだ
ろうけれど、ルアーとか竿とかだな。それらを奪ってしまおう。するとそいつはどうなる? イライラしだすだろう。な
いとわかるだけで不安になり常にそれを探してしまう。違うか? ほら、これと薬物依存と何が違う? 肉体的にもとい
う部分はまあ違うか。まあいい。ほとんど同じだろう? なければイライラする。不安になる。探す、求める。ゆえに、
そいつはつりに依存している。違うか?」
嵐ががーっ、と音を立てて少年達の前を通り過ぎていった。
低い地鳴り。
風がただひたすらに舞い上がって少年達の髪を良いように撫でる。
背の高い少年は、そっと口を開きかけたがやめ、首をかしげた。
「断定できない。もしくは『依存』という言葉に納得できない、か。まあそれもいいさ。そういう考えもある。ただ、俺
はこの詭弁を真実だと思っているさ」
鐘の音が余韻も残さずに止み、黄色と黒のゴールテープが何かを出迎えるように諸手をあげる。
少年2人は出迎えに応じ、歩き出す。
4本の綱が通り抜けるその場所を横切っていく。
「それで、最近思ったのだよ」
4本の綱の真ん中、2本目と3本目の真ん中で、少年は立ち止まる。
一呼吸遅れて、背の高い方の少年も立ち止まった。
「『最近の若者』は、音楽、テレビ、漫画、携帯電話、これらに依存しているのだと」
ようやく、主題に入ったらしい。
明らかに少年の物言いはその言葉が特別であることを示している。
「電車に乗ってみるだろう? 若者を見てみるといい。携帯電話をいじくっている輩は多いぞ。イヤホンがみえる輩も決
して少なくない。友人と会話をしていても携帯電話をいじっている。友人と会話していても音楽を聞いている。そういう
輩が数多くいるんだ。それに、よく聞くだろう? 『ってゆーか、ケータイなくしたら死ぬし』ってな。依存してる証拠
だな。死ぬ、とまで言っている。友人とつながる携帯電話。速すぎるが故に、遅いのを我慢できないんだな。常にいじっ
ている、常に持っている。持っていないと不安だ。イライラする。依存性は高いぞ。ちなみに俺は、最近放置しまくりだ。
目覚まし代わりくらいにしか使っていない」
「俺も、あんまり使ってないけど、メール着てるかと思うと忘れたとき不安になる、な」
「だろう? そういうものなんだ。次に、音楽だ。これはテレビと同じだな。情報がありすぎるが故に、それを知ってい
るのが当たり前、になっているんだ。『最近の若者』の趣味で多いのは、『カラオケ』だ。今日行こう、明日行こう。オ
ールしようぜ、とな。そして常に新しい音楽を求め、楽曲を買う。常に、聞いている。テレビも同じだ。今でテレビが家
にない、などという家庭は皆無だろう。1人暮らしでさえもテレビは置いているだろうというくらいだ。例外もあるが、
それは皆同じだ。だからそれは省け。俺は多数に関してのみ話をしているのだからな」
カンカンカン、と鐘の音が鳴った。
ハチの色をしたゴールテープが、少年達の前と後ろで片手を下ろす。
背の高い方の少年がその両方に目をやってから目の前の少年に目を向けた。
だが、彼は小さく笑って話を続けた。
「『漫画何冊持ってる?』その問いに、3桁を答える輩は少なくない。幼い頃から俺達は『漫画』を与えられて成長して
きたしな。誰か1人が、そういう雑誌を読み始める。するとそれが伝染する。面白いよ。貸してあげる。皆が漫画を読み
始めれば、残り僅かな彼らも幼い感情で母親に頼むんだ『みんな読んでるから』、そしてそれが依存の始まりだ。漫画が
あるのが普通の世の中になっている。音楽好きなあの子も、実は漫画を何冊も持っている。スポーツマンなかっこいい彼
も、実は漫画が大好きだ。そう珍しいことではない。皆、持っているのだよ。そしてやはり、それがなければ不安になる
のだろうね。途中まで読み始めてしまえば、もうたやすく終わることはできない。未完の連載は終わりが気になる。ふと
目に入った漫画に興味をそそられる。同じ作者の本が。同じ雑誌に掲載されているものが。そして、それらは同時にステ
ータスでもあるんだ」
鐘が鳴る。
両手が少年達の前後をふさいだ。
「どういう漫画を読み、どれだけの漫画を持っているかがそのままステータスになる。皆が持ち、情報を持っているから、
会話としても成り立ちやすいからな。貸し借りしあうのが一種の社会になっているんだ。学校にも極普通に持っていくら
しいしな」
鐘が鳴る。
右から白い目をつけた嵐がやってくる。
左から白い目をつけた嵐がやってくる。
「悪いことだとは言わないさ。だが、吐き気がするね。皆が皆、依存し、それにすら気がついていない。ぞっとする」
そして少年は背を向け、肩をすくめた。
背の高い方の少年もぼんやりと、4本の綱の真ん中に立ち止まったままだった。
「そこまで思ってから、俺は思ったんだ」
顔だけで振り返る。
「僕は何に依存しているのだろう」
電車のやってくる揺れが、線路を通して伝わってくる。
2本のレール、そこをちょうど電車がすれ違うなら少年達が立っている場所は立っていられる場所ではない。
「答えは己が命だ」
たんとん、と不明瞭だった電車の音が、次第にがたんごとん、とはっきり聞こえてくる。
そろそろ運転手が少年2人に気がつく頃だろうか。だが気がついたとしても、何も変わらない。
「俺はな、依存というものが気持ち悪くて仕方がないんだ。だから、己が命というものが憎い」
ぽつりぽつりと呟く少年。
段々と声が別の音にかきけされようとしていく。
「後ろの道は途絶えた。前の道もふさがっている。右からは電車が。左からも電車が。なあ、お前ならこういう時
どうする? 己が命が憎く、己が命を失わんとするそのとき。俺は決断できないよ。だから、そのまま何もできずに
立ち止まっているんだ」
ごーっ、という音がいよいよ間近に迫る。
背の小さい方の少年がにやと笑った。
背の大きい方の少年がそっと微笑む。
すらと長い細腕が、小さな体の腕を引く。
驚く少年の表情に微笑みかけながら小走りに、先の道の遮断機を飛び越える。
小さな体も、ぼんやりしたまま遮断機を飛び越える。
後ろで轟音を響かせながら電車が通り過ぎる。
すれ違う、もう片方の電車。
がたんごとん、がーっ、と。
そしてほんの数秒で走り去り、ただ風が乱暴に吹きぬける。
2人の少年の息は少しだけ荒い。
柔らかい瞳で小さな少年を見下ろしながら、彼はそっと呟いた。
「俺は、お前に依存してるよ」
救命道具も役に立たない
夕暮れの空はあかく
もうすぐに暮れてしまうだろう
一部「リリイ・シュシュのすべて」 岩井俊二 より引用
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