貴方は誰? 知らない
貴方は誰? 知らない知らない知らない


  真下の広場


視界の端で、白っぽい細長いものがすーっと動いていった。
わかっているのに。
しかしわたしは。
そちらが気になってしまうのだ。
顔を上げて窓の向こうを見る。電車だ。
電車が通っただけなのだ。

ここは駅前広場の一角にある小さなビルの2階、喫茶トラベル。
彼女、竹川結芽はここでアルバイトをしている大学2年生だ。
駅前なだけあって人はまあまあ入り、ショートケーキがおいしいと評判らしい。
時給も850円と結芽としてはなかなか嬉しい額がもらえる。
もちろんその分忙しくもあり、丁度軽食の時間の15時ともなれば、結芽は狭い店内を走り回っているのである。

少し後方で別のアルバイトの子が注文をとっている声が聞こえる。
結芽は電車が見えなくなったところで卓に目を戻し、軽く机の上を拭いた。
誰かが飲み干したコーヒーカップをお盆に戻し、また軽く拭きながら結芽はレジに目をやる。
人が待っていた。カップを片付けに奥へ戻るよりも先にレジを打つべきと判断し、結芽はお待たせいたしました、と小走りにそちらに向かった。

「ありがとうございましたっ」
笑顔を浮かべながら頭を下げ、結芽はお金をレジの中へ入れる。
かちゃんと音を立てながら引き出しを閉じ、ベルを置いてまた先ほどの場所へ戻る。
客の中にも、積極的な人間と消極的な人間がいる。
前者は会計や注文の時に声をあげるが、後者はあまり声をあげない。
いつまでも待っていてくれるのだ。
待つことが嫌ではない人なら良いが、そうでない人がおり、それが困るのだ。
待ちたくないなら、呼んで欲しい。
ベルを置いておくと前者だろうと後者だろうと押してくれるのでいい。
でも、鳴るとびっくりしちゃうんだけどね、と結芽は心の中で舌を出す。
先ほどの卓の前に戻って、不意に窓の外が目に入った。
ロータリーのこちら側にオブジェがある。幾何学のような形をしたよくわからないオブジェだ。
一番てっぺんは丁度このビルの2階と3階の間で途切れている。
その周りは皆が待ち合わせに使う場所で、やはり何人もの人が集まっている。
店の窓際からだと、丁度よく見下ろせるのだ。
そのなかの1人に、結芽は目をとめる。
ああ、またいる。


結芽がその人に最初に気が付いたのは、1ヶ月ほど前のことだ。
やはりバイト中で、なんとなしに、外のオブジェの辺りを見下ろした。
何人もの人が集まっていた。その中の一人に、目がいった。
あれ? あの人、誰だっけ?
茶色のシャツにこげ茶色のベストとジーンズという格好の男性だった。
髪は普通に黒くて適度に短い。
顔はよくは見えなかったが、眼鏡はかけていないようだった。
結芽は、その人を見たことがある気がしたのだ。
目を凝らしてその人を観察したが、思い出せなかった。
すぐに同僚に怒られ、また仕事に戻った。

動き回っている間、時々外に目をやった。
彼が気になったのだ。
周りの人々が入れ替わっても、彼はなかなかそこから動かなかった。
待ち合わせ相手が遅れているのだろうか。
彼はずっとそこにおり、結芽は時々それを見た。
だが結芽のバイトが終わった時には、彼はいなくなっていた。


それから、度々バイト中に彼の姿を見かけるようになった。
いつも服装は違うが、雰囲気や立ち方座り方で彼だとわかった。
結芽はいつまでたっても、彼が誰なのか思い出せなかった。


  *


丁度、大体彼がいる辺りに立ってみる。
バイトの時間より早く来てしまったため、もしかしたら会えるかもしれない、という気持ちでここに来てみた。
とはいえ、ビルの入り口から1分も歩かないのだが。
周りは待ち合わせをしているらしい人で一杯だ。
携帯電話をいじっている人が多い。
ゲームをしているのだろうか、待ち合わせ相手とメールをしているのだろうか、違う相手とメールをしているのだろうか。
人々の中に紛れながら、辺りを見回す。
彼はいない。
少し苛立ちながら結芽は眉間にしわを寄せて辺りを見回す。
場所が違うのだろうか、とオブジェの周りを一周してみたが、彼はいない。
待ち合わせをしているみたいだ。
結芽はそう思った。
きっと正しくは待ち伏せなのだけれど、待ち合わせをしているみたいだな。
でも本当は待ち合わせをしていないから、会えない。
いつも彼がいる辺りに戻って、ふと思い立って喫茶トラベルを見上げる。
窓際の卓と客が見える。さらに、その向こうを歩いているウェイトレスも。
中からよく見えるということは、外からもよく見えるということなのだ。
いつもの逆側からの視線。
既視感。
あるいは、そう。
今は、お店の中に、彼がいるのかもしれない。
なんてね、と結芽は小さく笑いながら駅舎の正面についている時計を見上げた。
「……やばっ」
結芽は少し冷や汗を流しながら駆け出し、喫茶トラベルに向かった。
一度ビルの手前で振り返る。
彼らしき人は、やはりいなかった。


ああ、彼がいる。
ぎりぎり時間に間に合って、しばらく働いてからのことだ。
窓際の客の注文をとっていて、外を見ていないのにそう思った。
その直感的なものに冷たさを感じたが、笑顔はとりあえず浮かべておく。
かしこまりましたっ、と元気よく言って窓に背を向け、待ち合わせ空間から目をそらす。
いるのだ。
きっといる。
確かにいる。

店の中を呼ばれて飛び出てと歩き回りながらも、窓の外には目を向けないようにした。
少し怖かったのだ、わかってしまったことが。
確かにそこにいるということを、確認したくなかったのだ。
「ありがとうございましたーっ」
客が減っていく。レジを打ち終えながら少し安心して息をつく。
注文の品も皆届け終わっているし、卓も片付いている、会計待ちも居ない、入ってくる客も居ない。
先ほどまでたくさんの人がいて忙しかったのが嘘のようだ。
無理な話だとはわかっているが、もうちょっと忙しさを分散させて欲しいものだと思う。
慌ただしかったところに休憩が入り、安堵した。
そして、いつもの習慣で外を見た。
彼がいた。

どき、とする。
一瞬心臓が破裂したような感覚。
目をそらそうとして、金縛りにあったように動けないことに気が付く。
まばたきすらできない。
不意に、彼が何かに気が付いたように顔を上げた。

そして彼はこちらを見る。



「え、竹川さんやめちゃったの?」
「そうみたい、学校の方とか忙しくなったらしいよ」
「そうなんだ、また来るかな? 今までありがとーって言いたいなあ」
「今度送別会でもやる?」
「いいじゃんいいじゃん、やろうよ。レッツパーティーッ!」
「そういえば、竹川さん、変なこと言ってなかった?」
「変なこと?」
「窓の外を見てぼーっとしてることがあったからさ、どうしたのーって聞いたんだけど」
「外? あの、待ち合わせんとこ?」
「多分ね。なんかね、見たことある人がいるんだけど誰だかわかんないんだって」
「あるある。人とすれ違って、あれ? 今の人誰だっけ? って思うんだよね」
「あー、わたし昨日それあったなあ。昨日の帰り。夕方だったなあ」

「誰だったんだろう、あの人」















競作小説企画Crown様 第四回テーマ「黄昏」 投稿


 戻る