僕達、わたし達は
今日という日、昨日という日、この学校で過ごした日々を
忘れません


  神々のような意識


 わたし達は1つではない。しかし1つだ。わたし達は、だからどこにでもいる。
 だから、わたし達は見ていた。あの、不思議な事故のことを。

 わたし達は、見ていた。
 ギラギラと太陽が眩しい、夏のことだった。太陽が沈んで、湿気がうっとうしい時間。銀色の舞台と、色とりどりのライト、たくさんのコードと大きなスピーカーが、そこには並んでいた。最近メジャーデビューし、軌道に乗ってきたバンドのライブが行われていたのだ。既に1時間ほどが過ぎており、バンドのメンバー達も駆けつけた客達も大いに盛り上がっていた。バンドのメンバーは全員が男で、ドラム、ギター、ベース、ギターの4人。ギターの一人がボーカルを兼任している。客達は、どうだろう、500人ほどはいたのではないだろうか。
 何曲目だかわからないその曲はバラード調の切ない曲だった。このライブが初披露となる曲で、バンドのメンバー達は緊張していたし、客達も期待していた。曲はレコーディングした時は4分と56秒。生演奏なのでどうなるのかはわからないが、3分を過ぎた頃の時間はレコーディング時とぴったり合っていた。
 ボーカルを兼任していない一人がギターのソロを軽やかに演奏してみせる。ギターソロが終わり、ドラムがシンバルを叩く。そこで、ドラムとギターとベースの3人は眉根を寄せた。ここからまた歌が入る予定だったのだ。ボーカル兼任の彼の方を、焦りながら見る。やや減速し始めた曲。だが、客達はまだ異変に気がつかない。ボーカル兼任の彼は無表情にギターを弾き続けていた。3人はまた顔を見合わせる。不意に、ボーカル兼任の彼の体が傾いだ。えっ、と舞台の上の3人と500人の客達が皆一様に驚いていた。前のめりに倒れ、膝をつく。ベースの彼が大丈夫か、と一歩踏み出したところで、彼はそのまま倒れた。ギターが舞台に当たってガン、と言った。
 いつのまにか止んだ曲、3人が引きつった顔を見合わせるのと同時に、ドラムの彼が、不意に椅子の後ろに転がった。ギターとベースの彼らは視線を合わせてから倒れた二人に駆け寄ろうとする。客達はざわめいていた。荒れた波のように、ざわめいていた。そして、ベースの彼も、ギターの彼も、相次いで倒れた。
 きゃーっ、という悲鳴がその会場に満ちたのを、わたし達は聞いていた。理解できない恐怖に侵された会場の客達。悲鳴を上げながら、彼らは囲われた柵の、2つの出口に殺到した。一気に人々の塊が出られる出口ではなかった。一度に一人か二人が出られる程度の小さな出口に、だが500人は群がった。我先にと、出口に向かって歩みを進めた。舞台の上にはスタッフたちが駆け寄っていく。客席の前方には既に誰もいない。後方で、ぎゅっと押し固められたかのように客達はいた。
 それこそ、客達、だった。彼らがそこにいるのは一人一人の客の意思などではなかった。客達がそこにいたのだ。皆が逃げるから逃げる。皆が叫ぶから叫ぶ。それは、客達という1つの存在だった。

 舞台の上にいた彼らは全員死亡。なんらかの毒物が使われた可能性がある、とだけ警察は発表した。だが、それのみだった。彼らがなぜ死んだのか、警察も分からなかったのだ。
 逃げ出した客達の中で、6人が死亡、84人が重軽傷を負った。死亡した6人の内、2人は会場の外へ逃げ出し、道路に飛び出して轢かれ、搬送された病院で死亡。残りの4人は、会場内での圧死。500人もの人間が一度に出口に押し寄せた結果だった。重軽傷を負った者は、出口に殺到する人の海で腕だけが変な方向へ伸びてひびが入ったり、足を踏まれて捻挫、転んで皆に踏まれて数箇所骨折という者も多くいた。
 何が起きたのか、わかっているものはだれもいなかった。バンドのメンバーも、そこにいた客達も、スタッフも、警察も、彼ら、一人一人では、何も、わからなかったのだ。
 この事件は連日、ニュースでも大きく取り上げられた。他に大きな事件がなかったことも手伝い、この事件は5日連続でほとんどのニュースのトップ、数日置いて新事実が発覚すればまたトップニュースであった。10人もの人間が死亡して、全容がわからないのだから仕方がない。ニュースでは、バンドの経歴紹介を中心に、その日あった、わかっていることを解説していた。2時間を予定していたライブの1時間を少し過ぎた頃、曲の途中でボーカル兼ギターの男性が突然倒れ、次いでドラムの男性、ギターとベースの男性が倒れた。そして、恐怖に駆られた客達が出口に殺到し、逃げた内の2人が車に轢かれて死亡、出口付近で4人が圧死、他にも重軽傷を負った。バンドのメンバーに何が起きたのか、それは一切分からぬままだった。自然と、ニュースでは観客達の心理について解説するようになった。
『これがいわゆる、集団真理ですね。バンドの人たちが倒れた、訳がわからない。こうなると、みんな情報が欲しくなるわけですよ。だけど、それがない。前のほうの人たちはですね、目の前のバンドの人たちが倒れて、一歩後退するんですよ。条件反射ですね。一歩下がっただけなんですけど、でもそれを見て、「逃げようとしている」と思う人もいるんです。無意識の内に、ですよ? そうすると、「そうだわたしも逃げなければいけない」と思う、これも無意識に。一歩下がった人々に押されて数人が出口に向かって駆け出す。すると、みんな「逃げなければいけない」と思うんです。なぜなのかは分からないけれど、みんな怖がっている、みんな逃げている。怖いよね、逃げようね、とこうなるわけなんです』
 この後、1週間ほどすると、ニュースはこの事件を取り上げなくなっていく。新しい情報も出ないのだから仕方がない。ニュースの報道をしたアナウンサーも、解説をしていた大御所俳優も、中継をしたリポーターも、捜査をしている警察も、あの日会場にいたものも、バンドのメンバーの家族も、誰も事実を知らぬままに事件から離れていくのだ。


 だがしかし、わたし達は知っている。わたし達は、見ていた。
 わたし達はあの時起きたことを知っている。わたし達は、「わたし達」という存在は、あの時起きた事を知っている。
 わたし達は、見ていた。バンドの彼らが、みな1人の少女に視線を向けていたことを。一番前に座っていた、1人の少女のことを、バンドの彼らは見ていた。少女も、見られれば、笑顔を返した。知り合いなのだろう、とわたし達は思った。わたし達は見ていた。彼らがぱたぱたと倒れる時、少女が笑っているのを。わたし達は見ていた。皆が出口に殺到する中、1人、会場の壁際に隠れて、慌てる人々を見つめていた彼女を。大きく口を開けて笑っていた少女の姿を、わたし達は見ていた。
 わたし達は、少女のことを知っていた。ボーカル兼任の彼の妹である少女のことを、知っていた。バンドのメンバーが皆少女に思いを寄せていたことも知っていた。あの少女に、不思議な力があることも、知っていた。
 少女は目論見どおり、4人の騎士達を殺し、そこに集まった6人の命を奪い、84人に怪我を負わせた。そして、その犯行を隠し通した。


「あの事件を忘れないで」
「時々、兄達が悪いように言われますが、そんなことはありません」
「兄達も被害者です。観客の皆さんも被害者です」
「兄達の演奏を楽しみに来てくださった皆さんにはわたしからもお詫びを申し上げます」
「あの事件を忘れないで」
「兄さん達を忘れないで」
「お兄ちゃんのこと、忘れないで」
「わたし達のあの事件を、忘れないで」


 少女は、あの事件に関する特集に、時々顔を出していた。かわいい顔をしていたし、はきはきと喋り、人受けのいい性格をしていたからだ。事件に対する熱が冷めぬころ、少女は色々なテレビに顔を出していた。誰も少女のことを疑わなかったし、少女の「犯人が憎いです」という言葉に同情していた。そして少女は1人、自分以外の全てを嘲笑っていた。
 だから、わたし達は、手を出すことにした。わたし達は、わたし達だけが知っていたのだ。だから、わたし達は、腰を上げた。わたし達は、もう、我慢が出来なかった。わたし達は、行った。そう、少女に、制裁を、与えることにした。わたし達だけが、知っていたのだから。

 満員電車の中で1人の少女が死んだ。死因は不明。なんらかの毒物が使われた可能性がある、とのみ発表された。少女は、少し前に起きたライブでの事件で死亡したバンドメンバーの妹で、少し前はテレビにも出ていた。かわいらしい少女は、だが呆然としたような表情で電車に乗っていた、と乗客は話した。身動き一つしないな、とは思ったが、満員電車だからそんなものだろうとまた別の乗客も話した。人の波がぐるりと動いたそのときに、少女はぱたりと倒れたのだという。
 悲鳴が上がり、満員の駅は一時騒然となった。だが、だれも、そのとき何が起きたのか、知らなかった。知らなかったのだ。
 真実は、わたし達だけが、知っていた。















「人間ではない視点から」というテーマで。


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