わたしは恋をします
1人では決して出来ない、恋をします
恋愛小説 髪
この学校の図書室は、南校舎の最上階にあった。学校は南から順にプール、校庭、南校舎、中庭、北校舎、裏庭、と並んでおり、校舎と校舎の間には渡り廊下があった。北も南も校舎は3階建てで、校庭に面した南校舎の真ん中辺りにはシンプルな時計が掲げられている。掲げられているといえば、南校舎の端、生徒玄関がある場所には国旗と校旗がはためいていたりもする。
図書室。南校舎3階の半分以上を占める図書室にはあまり人気はない。普通の教室4つ分ほどの広さがあるが、10人いるかいないかというほどの閑散ぶりだ。蔵書は半分ほどが小説、文芸書の類であるため、読書家には愛されている。残り半分ほどには専門書等や図鑑、辞典などが並べられている。わたしはそのどれにも手を出しており、今も丁度、専門書の棚をぐるぐると回っているところだった。目ぼしい本が見つからずにため息をついて、うつむいたところで、わたしはぴたりと足を止めるのだ。
この図書室は、東側に貸し出しカウンターがあり、カウンターから見える位置に大きな机が1教室分ほど並び、残りは全て本棚、という間取りになっている。入り口は東西どちらにもあるが、何故か西側の扉は誰も使わない。棚は東側に文芸書、西側に専門書というようにわかれており、当然カウンターや机の周りが一番人が多く、西の専門書側に行くほど人気がなくなる。人があまりいないからこそ、わたしは専門書コーナーによくいりびたっているのかもしれない。床は臙脂色の絨毯で敷き詰められ、上履きは脱いで入らないといけない決まりだ。窓は一面に並んで光がさんさんと差し込んでいる。窓の下には丁度窓枠の高さまでの棚がずらりと並んでいる。専門書の棚の横には専門書、文芸書の横には文芸書が入れられており、カウンターや机のあるスペースの周りには文庫本がいれられている。
わたしはそんな図書室の一番隅、南西側の角を丁度曲がったところだった。少し向こうには誰かの背中も見えている。だがわたしは足元にじっと視線を落としていた。
髪の毛だ。
しゃがんでつまむ。色は黒。少し茶色っぽく見えるのは光の加減だろうか。長さは丁度手の付け根から中指の先程まで。やや弧をえがいているが、特別にくせっ毛というわけではなさそうだ。
つまんだまま立ち上がり、窓辺の棚の上に腰を乗せる。もちろん禁止されているが、先生以外は誰も注意しないし、生徒も先生もみなやっている。窓が閉じられていることを確認してから窓枠にもたれた。図書室は校庭を見下ろすに一番いい場所で、校庭の全てを見下ろすことが出来た。テニス部、野球部、サッカー部、陸上部がそれぞれに部活動を行っている。快晴の空の下、さわやかな喧騒がかすかに聞こえ、美しい学校生活がそこでは輝いていた。
視線を図書室の中に戻し、つまんでいた髪の毛を目の前にぶら下げる。
男のものだろうか、女のものだろうか。つむじあたりから生えているものだと、男子生徒でも長い髪の毛があったりする。女子ならばかなりのショートカットか襟足近くのものということになるだろう。指をこすり合わせるようにしてくるりと回す。自分の髪の毛をつかんで照らし合わせてみる。太さは大して違わないが、どうやらわたしの髪の毛の方が茶色っぽいようだった。キューティクルは悪くない。光があたれば真っ白に輝くし、手触りも滑らかだ。
指をこすり合わせるようにして、くるりと回した。
視線をくるりと回して足元に向ける。見える範囲に人の頭髪が落ちている様子はなかった。硬い臙脂色の絨毯には、ただほこりばかりが絡みついている。指先を離して髪の毛をその場に落とす。やや遅いスピードで少し回りながら絨毯の上に寝転ぶ髪の毛。すーっとひび割れのような線。もう一度拾って、くるりと回した。
人の頭髪とは、意外と抜け変わるものだ。髪を洗っている時も、眠っているときも、歩いているときも、立ち止まっているときも。まだ高校生のわたしたちにとって頭髪とは、抜け落ち、生え変わっていくものなのだ。それこそが髪の毛の仕事といってもいいかもしれない。
だからこの髪の毛が落ちていたことは別に不思議ではない。だが、わたしはこれをひろってしまった。
どんな人間のものなのだろう。
不意に考える。気がつかぬ間に髪の毛という子を落として行き、どこかへ行ってしまった人。大人しくて何にでも怯えるような子だろうか。活発で周囲の人間を笑顔にしてしまうような子だろうか。何にでも反抗していつでもイライラしているような子だろうか。さわやかに笑う人のいい子だろうか。
その人は、わたしに髪の毛を拾われて、喜ぶような人間だろうか。普通ならば気持ち悪く思うだろう。既に落としてしまった不要なものとはいえ、自分のものであったのだ。そして同じものをまだつけている。気持ち悪く思うに違いない。そしてわたしのことを怖がるのだろう。だがもしかすると、そういうことに喜ぶ性癖のものなのかもしれない。わざと髪の毛を落として、誰かが拾ったかもしれないと妄想する、そういう人物だったらどうだろう。わたしは口元が緩むのを感じた。
髪の毛とはそもそも気持ち悪いものだとも思う。例えば、誰のものかわからない髪の毛を指差して拾えと言われても、嫌がる人間の方が多いのではないだろうか。風呂場の排水溝や、朝起きてたくさんの髪の毛が抜けているのを見た時、それが自分のものであったとしても気持ち悪く思うはずだ。そして、自身から抜け落ちたそれらを、他人に見られることも嫌がるに違いない。
要するに、落ちた髪の毛とは排出物、老廃物なのだ。汚いもの。いらないもの。捨てるべきもの。落ちていない髪の毛は美しく、輝かせるために人々は努力をする。落ちた髪の毛は、何の感慨もなく捨てていく。
目の前に掲げた髪の毛をくるりと回す。
誰のものかもわからない老廃物。それをみてにやにやと笑うわたしは相当な変わり者なのだろう。一本の、ボールペンで書いたかのような細い線。誰のものかわからない気持ち悪い髪の毛。
わたしは座っていた棚を覗き込み、人気のなさそうな1冊を取り出す。ほこりをはらって、適当なページに髪の毛をはさんでおいた。もう一度開いて、にやりと笑った。時々、本のページに潰れた虫の死骸が挟まっていたりする。ひどい時には紙と一体化していることもある。それと、誰のものかもわからない髪の毛が挟まっているのと、どちらが気持ち悪いだろう。ぱたんと音を立てて閉じ、棚に戻す。隣の1冊を抜き出して手に持ち、窓を開けた。僅かに感じられる程度の風。窓を開けたまま棚の横を通り過ぎ、カウンターの方へ向かう。
文芸書の棚の間に2人の女子生徒と1人の男子生徒。机には固まっている生徒とバラバラの生徒が点在し、カウンターの生徒も合わせて全部で9人。わたしをいれて10人だ。この中に髪の毛の主はいるだろうか。髪の長さから行けば、1人、2人を除いて全員考えられる。誰だろう。ぞくっ、とした感覚が背筋を通り抜けていく。にやにや笑いを普通の笑顔っぽく見せながら、本をカウンターに差し出す。貸し出し処理をしてくれる男子生徒。もし彼が髪の毛の主だったとしたらどうだろう。わたしが髪の毛を持っていたことを知ったら、どんな表情を、どんな反応を見せるのだろう。
ありがとうございます、と丁寧に言って本をこちらに差しだす彼に、そっと微笑んでみせる。不思議そうながら、あわせるように笑ってくれた。本を受け取って図書室を出た。しんと静かな、図書室と違って冷たい雰囲気の廊下を進んで階段で曲がったところで、1人の女子生徒とすれ違った。図書室に向かう、髪の毛を2つに縛った少女。この子だろうか。すれ違いながら横目で見る。かわいらしい笑顔。わたしが髪の毛を持っていることを知ったら、どうするだろう。かわいらしい笑顔が、どう変貌するのだろう。
にやと笑いながらわたしは階段を下る。誰だろう、あの髪の毛の主は、誰だろう。
誰だろう。
テーマは「偏愛」
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