小さな箱がありました。中くらいの箱がありました。大きな箱がありました。
女の子はどれにしようか迷ってから、そのままおうちへ帰りました。
SCATOLA スカトーラ
箱は、旅をしていました。
少し昔のある日、歩くことができることに気がついた箱は、世界中を旅することにしたのです。今までに、山や海、砂漠や湖、町、荒野、廃村、お城と色んな場所を回ってきました。どこもかしこも面白く、箱は旅をすることが大好きでした。時々怖い目にもあいましたが、優しい人もいました。色々なことを経験しながら、箱は旅を続けていました。
その日は、お城のある町に、箱は来ていました。
「あら、なあに、この箱?」
1人の女の子が不思議そうに箱を見つけます。茶色の長くてくるくるした髪の毛がかわいらしく、つんとすました表情をしています。青色の目をきらりと輝かせ、桃色のドレスをきた女の子は、箱をつかみました。
「あなた、旅をしているのね。いいわ、わたしの家に来なさい」
女の子は箱を押して石畳の上を進み始めました。箱は、行く当てもなかったので女の子に従うことにします。人の通る街道を抜けて、やがて大きな大きな城門まで来ました。女の子はその中へと進んでいきます。兵士達はみな、箱を不思議そうに見つめながらも、こういうのです。
「こんにちは、プリンチペッサ」
女の子はこの街、いいえ、国のお姫様だったのです。きらびやかなお城の中へと入っていきます。女の子は嬉しそうに箱を押していきます。そこへ、女の子のお父さんとお母さん、王様と王女様が来ました。
「まあ、その箱は一体何なの?」
「箱よ、箱なの。旅をする箱なのよ!」
「旅をする箱か、そういえば聞いたことがあるぞ」
王様と王女様は不思議そうな目で箱を見てから、追い出しなさい、と言いました。女の子はえーっ、と声を大きくします。
「嫌よ、今日はこの子と寝るの!」
王様と王女様は困ったような表情をします。女の子はぎゅっと箱に抱きつきます。そこへ、2人の女の人がやってきました。女の子のお世話係と教育係です。
「どうなさいましたか」
「この子が今日は箱を城に止めると言うのよ」
「どうしても、どうしてもよ。今日のおやつのカンノーリを抜いたっていいわ!」
熱心に女の子が言うと、教育係とお世話係の女性達がちゃんと見ているということで、女の子と箱は一晩を共に過ごすことが許されたのです。笑顔を弾けさせて、女の子は嬉しそうに箱の周りを回ります。その姿を見て、王様も、王女様も、お世話係も教育係も、そっと微笑むのでした。女の子は箱を押して、自分の部屋へ向かいます。嬉しそうに嬉しそうに。広くてきらびやかな女の子の部屋に入ると、女の子は自分の洋服を箱の上に乗せました。これがかわいい、あれがかわいい、とたくさんの服を持ち出してきます。色とりどりのリボンを持ってきたところで、丁度おやつがやってきました。
「まあ、食べてもいいの?」
「ええ、真剣なことが伝わったからよいのです」
女の子は箱と引き換えに捨てたはずの、大好物のカンノーリを食べることができました。リボンを投げ散らかすと、部屋の隅のティーテーブルに駆け寄ります。箱はかわいらしい洋服に埋もれています。カンノーリを半分ほど食べてしまったところで、女の子は箱の方を見ました。
「箱はカンノーリを食べられないの? まあ、なんてかわいそうなんでしょう! こんなにおいしいのに!」
そう言いながら嬉しそうにカンノーリをほおばっていきます。食べ終わると、口を拭いてから、箱の方へと駆け寄ってきます。投げ散らかしたリボンを手にとり、箱にあてます。
「この色がいいかしら、それともこっちの色がいい?」
散らかした、何本ものリボンを当てたり投げたりと、女の子は大忙しなのでした。
夜になりました。
箱は、女の子のベッドの横にいました。お世話係がカーテンを閉め、寝巻きに着替えた女の子をベッドの上に運びます。大きくて柔らかなベッドに、女の子の小さな体が横たわります。ごそそごと動いて、女の子はぬいぐるみを抱きしめました。
「ヴォナノッテ、プリンチペッサ」
「ヴォナノッテ」
そしてお世話係は部屋の外へと出て行きました。それを見届けると、眠そうな表情でまぶたをこすっていた女の子はゆっくりを身を起こしました。そしてベッドの端まで来て箱を叩きます。
「箱さん、箱さん。あなたの中には何が入ってるの? 何も入ってないなら、わたし、入りたいわ!」
箱は、自分の中に何も入っていないことを知っていました。そして、女の子なら入ることができる大きさであることも知っていました。だから、入っていいよと箱は告げました。女の子は目を輝かせ、ぬいぐるみを投げ捨てました。ぱかりと開いた箱の中へと女の子は滑り込みます。ぱたん、とふたがしまります。
『まあ、素敵! 秘密基地みたいだわ』
興奮した声が箱の内側から聞こえます。
箱は、あまりにも箱が女の子にぴったりであることに驚いていました。そして、歩き出してからは中に入った人がいないことを思い出しました。とても懐かしい感覚でした。
『このまま歩くとどうなるのかしら? まあ、素敵な揺れ心地』
箱はベッドの周りを歩き始めます。半周する頃、女の子は箱の中で身を横たえました。
『このままだったら、誰にも見られずに街の外を見にいけるわね』
くすくす、と笑う声が少しずつ眠たそうになって来ました。もう夜なのだから、女の子は眠くて仕方がないのです。でも、箱と一緒に遊びたいのでした。
『箱さん、箱さん。このままお城を出て、街を出て、一緒に旅をしましょう』
夢見心地の女の子ですが、嬉しそうに言いました。箱もそうしようと言いました。でも、それはこのお城から出て行くということです。それを言うと、女の子はそれでもいいと言いました。
『お城なんて退屈な場所だわ! 国の中や外を見に行きたいの。箱さん、箱さん、連れて行って頂戴?』
本当にいいのか、と箱は3度確認しました。女の子は3度ともよいと言いました。そして、行くなら今夜の内に行こう、と箱に言うのです。箱は困りましたが、女の子が急かすので、仕方なく出発することにしました。
女の子の部屋を出ます。静かな廊下を歩いて、やがてお城を出ます。月明かりの明るい夜でした。箱は、もう一度、本当にいいのかと女の子に聞こうと思いました。しかし、もう女の子は眠っていました。穏やかな寝息が聞こえてきます。
『箱さん、箱さん、旅へ行きたいわ』
箱は、旅を続けることにしました。
女の子が目を覚ましたのは、草原でした。日が昇ってから、一番上に来るまでの丁度間の頃でした。女の子は目を覚ますと、腕を伸ばしながら箱の外へ出ました。街は見えません。見えるのは草原と、木と、それと山だけです。女の子は嬉しそうに草原を駆け回ります。
「まあ、なんて素敵なの! これが街の、いいえ、国の外なのね!」
嬉しそうにくるくると回る女の子。箱はそれを見てました。突然、草原の向こう側から大きな影が走ってきました。人を襲う猛獣です。箱も女の子も気がつきました。しかし戦う術はありませんし、女の子は逃げることもできずに突っ立っていました。猛獣が前足を上げて女の子に襲い掛かります。咄嗟に後ずさりした女の子は石につまずいて転んでしまいます。すると、猛獣の前からそれ、猛獣の一撃から逃れることができました。それで目を覚まし、女の子は慌てて箱の元へ駆け寄り、中へ入って蓋を閉めました。猛獣が箱に体当たりをします。
『きゃあっ』
女の子が中で悲鳴をあげました。箱はころころと転がります。女の子は体のあちこちをぶつけながらともに転がります。がんっと大きく叩かれましたが、猛獣は諦めたらしく、そのまま去っていきました。
『まあ、怖かった。あれが、街の外、国の外なのね』
しょんぼりしている女の子を箱は元気付けてあげようとします。しかし、女の子は怒り出しました。
『何よ、守ってくれないとだめじゃない! わたしが猛獣に襲われそうになったのだから、ちゃんと助けなさいよ!』
内側からぽかぽかと箱を殴ります。箱はしゅんとしますが、助けなかったのは箱なので仕方なく拳を受け止めます。ですが、箱はいつも、猛獣に襲われたときは動かないでいるのですから仕方がありません。
『今は2人なのよ! それとも、わたしはついてきちゃいけなかったって言うの!』
怒った女の子は蓋を押し上げようとします。そこでさっと顔が青ざめました。天板を精一杯叩きますが、箱が開かないのです。力をこめて押しても、びくともしません。
『うそ、うそでしょう? なんてこと! 出してよ、ここから出して、出しなさいっ!』
女の子は箱をめいっぱいの力で叩きます。
『出しなさい、出しなさい! 助けて、助けてよ!』
箱は、先ほど猛獣に襲われたときに蓋がおかしくなってしまったのだと気がつきましたが、どうしようもありません。色んなところが傷だらけでしたが、箱はそれを治せないのです。箱はそのことを伝え、謝ります。すると女の子は怒るのをやめました。しかし、今度は泣き始めたのです。
『何よ、箱なんて、箱なんて。箱が歩くからいけないのよ。わたしはずっとお城にいたかったのに。どうして連れ出すのよ。どうしてあの街に来たのよ。箱がわたしに会いに来たからいけないの。箱がわたしのお城に泊まりたいって言うからいけないの。箱がわたしをお城の、街の、国の外に連れ出さなければ良かったのにっ』
女の子は涙をこぼして泣き始めます。箱はしょんぼりしながら歩き始めました。女の子は泣きながら、どれだけお城が素敵な場所だったかを語り、箱がいけないのだと語ります。やがて、女の子は泣き疲れて眠ってしまいました。
日が昇っていきます。やがて日は沈み始めます。女の子は暖かいお城を夢見ながら眠っています。箱は女の子を起こさないようにそっと、それでも精一杯急いで。箱は歩いていました。
日が、今丁度沈もうとしている。というそんな頃でした。
箱はようやく目的地にたどり着きました。小さな小屋です。中には、美しい姿の、長くて黒い、フードつきのマントを羽織った女性が座っていました。彼女は箱を見て、驚いたように目を丸くしました。
「まあ、どうしたの?」
箱は、女の子と出会って旅をしてきたのだということと説明しました。そう、と沈痛そうな面持ちで頷いた女性は、その場をゆっくりと回りました。こちらを向いたとき、彼女は年老いた老婆になっていました。長くて大きな鉤鼻。ギラリと光る青い目に、しわくちゃな顔。灰色の髪の毛はピョンぴょんと跳ねて汚らしい、そんな、腰の曲がった老婆でした。
「それで、望みはなんだい」
箱は、女の子を元いたお城に戻して欲しいといいました。
「今までも何度か手助けをしてきた。ちょっと、多すぎやしないかい?」
ましてや空間を移動するなんて。と老婆は低く笑います。箱は一生懸命頼みました。老婆は意地悪そうに笑って、持っていた杖で箱を叩きました。箱の中で女の子がうめきます。
「あんたが歩いているから、アタシの面倒ごとも増えるんだ。だから、あんたもう、眠りなさい」
低く笑う老婆は、それが条件だ、と言いました。箱はそれでいいと言いました。女の子は城へ戻りたくて泣いているのです。連れ出したのは、箱なのです。老婆は低く低く笑うと、奥の部屋へと箱を案内します。暗くてじめじめした部屋でした。床には文様が描かれています。
「さあ、そこへお行き」
老婆の指差す場所で、箱は止まります。中の女の子は頬を濡らしながらも、まだ眠っていました。
「箱よ、箱よ、箱よ。内側は時空へとつながれ、距離を越えろ。時間はそのまま。場所だけ越えろ。やれいけ、それいけ。ペルファヴォーレ!」
箱は、内側に居た女の子がいなくなったのを知りました。少し寂しくなりました。落ちたはずの涙すら、箱の内側にはなくなってしまったのです。
「さあ、次はお前を止めるよ。お前の時間を止めて、どこか遠くの場所へ捨ててやる」
箱は自分の軽さを実感しながら、空洞を寂しくしか思えません。老婆が笑いながら、杖を振り回しました。
「箱よ、箱よ、箱よ。足をもぎ取れ、目をなくせ。歩くな動くな考えるな、人に生きるな石になれ。二度と動くな、死んじまえ。アルトラ!」
箱は、自分が動かなくなったことを知ることはできませんでした。
箱が捨てられたのは、人里離れた森の奥にある若い木のすぐそばでした。その木は何年も何年もかけて大きくなり、箱を持ち上げてしまいます。やがて、太くて大きな木になる頃には、箱は木と一体になっていました。太い枝の内側に、ひっそりと箱はいたのです。
そのとき箱は、自分が動けることも、歩けることも知りませんでした。
もっともっと、長い年月がたちました。あの若い木が、森一番というほど大きくなった頃ですから、とてもとても長い年月です。その頃には、森の近くに街ができ、森にも人が入ってくるようになっていたのです。そして、小さな子供が大きなその木に登る時が来たのです。
男の子でした。一人ぼっちのその男の子は、木の本にやってくると上を見上げて、すぐに木を登り始めました。その男の子は木登りが上手で、汗をぽたぽたと落としながら、葉の影へと入っていきます。幹の間を歩き回り、そして箱を見つけるのでした。男の子は箱をコンコンと叩きます。
箱は、目を覚ましました。自分に意識があることだけ、思い出したのです。
「お前、御伽噺の、歩く箱か?」
箱は男の子に言われて、自分が歩いていたことを思い出しました。しかし、どうやって歩いていたのかは思い出せません。
「君は、だあれ?」
箱は言葉を話すことができたのです。歩くことはまだ思い出せないけれど、話すことができたのです。箱は男の子と色んな話をしました。
月日が過ぎ、箱のいる木のすぐそばを、道が通ることになりました。すると、たくさんの旅人が行き交うようになったのです。彼らは皆、箱のいる大きな木に身を寄せて休むのです。そんな旅人に、箱は話しかけるのです。
「君は、どこから来たの?」
箱はもう、旅をしませんでした。ただ、旅の話をたくさん聞いているのです。
テーマ「密室」
謎の横文字は全てイタリア語。タイトルは「箱」の意。
戻る