え? 忘れている約束ですか?
そんなものありましたっけ。これでも物覚えはいい方なんですけどね、わたしって。仕事とかでも、お得意先の電話番号なんかはそらで言えます、ちょっとした自慢です。あと、うちの会社って、データベースにアクセスするときに、個人に認証番号、六ケタのIDがあって、それを入力する方式になってるんですけど、わたし他人のID、いくつか覚えているんですよね。六ケタだから、いい年した人だと自分のもたまに忘れてるくらいなのに。ああ、悪用したことはないですよ? やだな、そんな目で見ないでくださいよ。
まあ、普通のOLですよ。適当に会社に行ってて。出世街道まっしぐら、ってわけでも、お局さんにいじめられて、ってわけでもなく。残業で疲れた帰り道に、ふと占いなんかしてみるのもいいかな、って思う程度の。
占い師さん、ここよく来るんですか? 初めて見たんですけど。ああ、やっぱり。へえ、あっちで? ふうん、じゃあ今度また気に入ったら行きますね。わたしのこと覚えていてくださいね、約束ですよ。
忘れている約束があるって言われても……、思い出せないですね。そういえば、この前同僚と一緒に旅行に行く約束はしましたよ。シンガポールに行くって話なんです。四人くらいで予定を立てているらしいんですけれど。最初に話が出たのは随分前だったんですけどね? 細かい予定とかも立てて、ああ、夏休みがいいかなって話になってるんですけど。ところが、四人のうちの二人がちょっと今険悪なんですよね。一人が不倫をしていて、一人はそれを許さないタイプなんですよこれが。それだけならまだしも、許さない子の方の彼氏っていうのが、不倫をしてる子の元彼なんですよ実は。許さない子の方は知らないんですけどね。わたしと、旅行メンバーのもう一人の子くらいしか知らないのかな。不倫してる子とその彼、結婚まで考えてたんです。けれど、彼氏の方が今の、許さない方の子に手を出して、それで結局別れたんですよ。不倫してる子がそれで意気消沈してるところに、会社の部長が迫ったってわけですよ。元々狙ってたって話なんですよね。奥さんと最近仲が微妙らしくて、手ごろな女の子を探してたとか。その噂聞いても、あの子それでいいっていうんだから度胸あるわー。で、それで、不倫なんて、って一人の子が怒るんですけど、彼女にしてみればあんたがいなけりゃわたしはあんたの今の彼氏と幸せに結婚してたんだ、って感じじゃないですか。だから怒っちゃって怒っちゃって。あーあ、シンガポール、行けるかな。
そういえば、わたしも不倫してたんですよ。あはは、大暴露です。初告白。まあ随分前のことなんですけど。当時の部長と。それなりに愛し合って、あの人は奥さんと別れるって言ってくれて、わたしもそれを待ってたんですけど、彼曰く、ふとした拍子に我に返ったんだそうですよ。離婚してわたしと一緒になるなんていうのは、不自然だ。って。今のまま、奥さんと子供との家庭を守って行きたい、って思ったんですって。わたしはそれを実感するための存在だったみたいです。泣きました泣きました。そりゃあもう荒れましたよ。お約束って感じですけどね。不倫ってのは遊びですからね、要するに。わたしなんかは本気だったんですけどね。
えっ。あ、これですか? ああ、そうです、婚約指輪です。ええ、今、結婚の準備を進めてるとこなんですよ。順調、順風満帆です。あ、不倫の話は彼も知ってます。随分前のことですから、お互い何にも思ってません。幸せですよ、ええ。彼はですね、高校時代の同級生なんです。彼の方が、当時からずっとわたしのこと好きだったらしいんですよ。惚気ちゃいますよ? 占い師さんって彼氏います? 占い師さんにプライベート聞くのってマナー違反かな? やっぱりこういうことってあんまり友達に言えないんですよねー。高校2年生の時に、キャンプにいったんですね。ほら、自然学習とかありませんでした? 夜のキャンプファイヤーとかありましたよね。それで、肝試しがあったんですよ、わたしたち。近くの森を通って、森の中にはおどかす係の子がいて、っていう。ありませんでした? わたし、ホラーとかだめだったんですよね、それが。だから、その肝試しも嫌で嫌で。女三人、男三人の班で回るんですけど、仲のいい子達じゃなかったもんだから余計に。それでも、一人で震えながらみんなの後をついていったんですね。それで、わたし途中で木の枝に髪の毛がひっかかっちゃったんですよ。肝試しで真っ暗だから最初は怖くて。でも木の枝だってわかってからは、ちょっと一安心したんですけどね。それで、取ろうと思うんだけど取れないんですよこれが。からまっちゃってて。怖いし暗いからよくわからないし。それで、班の子達が先に行っちゃってたんですね。懐中電灯もそっちが持ってたから、辺りはあっというまに真っ暗。仲も良くないし、肝試しが怖くて震えてたし、なんか間抜けだったから呼ぶに呼べなくて。行っちゃったんですよ。真っ暗な森の中にひとりぼっち。怖いし、髪の毛がひっぱられて痛いしで、みじめなもんでした。どうしよう、って思ってましたね。今思えば、次の班もそこを通るんでしょうけれど、そのときはそんなこと考えなくて、一人置いてかれちゃった、ってパニックになりました。
そこで、彼の登場ですよ。おどかす係だったんですって。
何やってんの。って、ひょいと現れたんです。
髪が、ってつっかえながら言うと、ああ、って言って取ってくれたんです。まあ、普通これで惚れるのはわたしの方なんですけど、ところがどっこい。パニックだったから、もうそんなこと考える余裕もなくて。大丈夫? って聞かれて、大丈夫じゃない。って怒ったんですよね。それで、あんたは怖くないのっ? ってつめよったんだそうです。おかしいですよね。でも、それが彼の心にはびびっと来たらしいですよ。あ、表現古いですか? それから彼の案内でショートカット、おどかす係の子達の待機場所とかなのかな、そういうところを通って先回りして、班に合流したんです。
それから、ずっと気になってたんだ、って彼は言ってましたね。同窓会で再会して、そのまま付き合って、それで今です。
彼が、幼なじみとかなら何か約束してたかもしれないですよね。ほら、大人になったら結婚しようね、とか、いつか迎えに行くからな、とか。漫画の読みすぎですかね? 実際にしている子とかいたのかなあ、結婚の約束。まあ、しててもお互いに忘れてたら意味がないですよね。でも忘れないのかな、やっぱり。うーん、現実にそういう約束が成就した例ってあるのかな。結婚しようね、って約束が。
約束、約束かあ。でも、失礼ですけど忘れている約束がある、なんて誰にでも当てはまる占いですよね。だって約束なんて日常的にあるじゃないですか。みんな、いくつも約束を持ってる。具体的な約束もあれば、抽象的な約束もある。その、いくつかくらい忘れてますよ。お互いに忘れてたら、なかったことになっちゃうんですけど、でも、片方が思い出せばまだ有効な気もするし。
つまり、占い師さんの言ってることは、ある意味当たってると思います。
でも、多分、間違ってもいる。
だって、約束忘れてないもん。……ねえ、みっちゃん?
ちゃあんと覚えてるよ。一昨年くらいだっけ。約束したの。この場所で再会して、もっかい会おうね、って。まさか占い師やってるとは思わなかったけどさ。えー、だって、なんかそれっぽいから調子合わせようかな、って思って。それに会ったのが偶然で、みっちゃんこそ約束忘れてるかな、って思ってたし。半分くらいは、みっちゃんいないかもって思ってたしね。
偶然膝をつき合わせた占い師と寂しいOLが知り合い、って、なんだか三文ドラマのお約束、って感じだよね。
さて、どうする? おいしいレストラン知ってるからそこにでも行こうか。
競作小説企画Crown様 第八回テーマ「約束」 投稿しなかった作品
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