はつ恋、というタイトルの詩があるらしい。
それは天使様の手紙で、見つけるとその人の恋が叶うという話だった。それは、封筒に入った便箋に書かれている。それは、初恋の甘く切ない気持ちがつづられている。それは、幼い微熱にうかされた少女が書いたような、繊細な文章。
それは、学校の図書室にある。
学校のいたるところで、その手紙の存在は語られていた。
「はつ恋」という詩、手紙は、天使様が学校の古い精霊に渡したもの。受け取った精霊が大事に図書室に隠したもの。二人は結ばれ、その恩恵が手紙に宿っている。そうではなく、天使様の初恋は叶わなかったのでその強い思いが宿っていて手助けしてくれる。そうやって、幻想を孕んだ噂は生徒たちの間で秘めやかに囁かれていた。
その噂の図書室は、先週金曜の夜遅く、職員室の電気も消えているにも関わらず、電気が点いていたという。何人もの生徒が口をそろえて証言しており、中にはぼんやりとした小さな明かりが移動していたという目撃情報もあるとのことだった。
それは天使様が精霊に手紙を渡していた時のものだとか、精霊が手紙を図書室に隠している時のものだと噂されていた。天使様や精霊の話は信じ難いが図書室に明かりが点いていたのは事実で、それが手紙の噂に、もしかしたら、という小さな信憑性を与えていた。そのためもあってか、噂は蜘蛛の子を散らすように広がった。噂好きの女の子はもちろん、そうでない子も、男の子でさえも、ほとんどの生徒が知っていた。
図書室に「はつ恋」という詩があって、それを見つけると恋が叶うらしいよ。
昼休みの図書室には、2、3人の女の子の塊がいくつも見られた。本棚の間の吐息から、浮き足立った恋の香りが立ち上っている。読みたい本があるのではない、調べたい事柄があるのではない、文字の間を泳ぎにきたのではない。手紙を探しに来ているのだ。
戸を引いて図書室に足を踏み入れると、ちくちくと視線が刺さった。人影が視界に入らなくてもわかる程、露骨な視線ばかりだった。敵意がむき出しの女の子たちの姿は、本棚の陰から髪の毛やら足やら目やら制服の端が見えるだけで、それがどこの誰なのか判然としない。棚の隙間からくすくすと笑う口元が見える。
あーあ、ライバルが増えた。先に見つけられちゃうかなあ。あそこは探したから大丈夫。まだ探していないところ見られたらどうしよう。わたしが見つけるんだから、そっちはだめ。
図書室にそぐわない、ぴりぴりとした空気だった。
幸いなことに、文庫本のコーナーには誰もいなかった。隠された詩とやらを探しにきたのではない、読みたい本を探しにきたのだ。声を大にしてそう叫びたかったが、飲み込んで気になる本がないか、並んでいる背表紙を眺める。「はつ恋」という、噂の手紙と同じタイトルがあったので何気なく手にとってみたが、何もなかった。面白くなさそうだったので棚に戻した。気になった本を取り出しては戻すという動作を繰り返す間、背中には視線の矢がたびたび突き刺さった。探るような、咎めるような、毒気たっぷりの視線。浴び続けてそろそろ吐き気がしそうだという頃、隣に影が差した。女子制服、肩の高さは同じくらい、上履きの色は同級生。それだけ把握して本の背表紙からそちらに目をやると、クラスメイトの女の子がいた。
「あなたも、探しに来たの?」
つんと済ました物言い。上目遣い気味に、こちらを伺っている。挑むように瞳を覗き込まれて、半ば振り払いながら違うよと首を振った。ふうん、と喧嘩腰の反応が返ってくる。好戦的な視線から逃げるように、手に持っていた本を棚に戻した。それだけで去るかと思いきや、彼女はまだそこに留まっていた。
次の本を手に取ろうか迷っていると、彼女が先に手を伸ばした。指先をいっぱいに広げて、その手でつかめるだけの本を前に引き出す。少しの間彼女はそれを眺めてから、めいっぱいに広げたままの指で元に戻した。
「もし何か見つけたら、わたしにちょうだいね」
それはお願いのようでもあったが、命令のようでもあった。媚びへつらうようでもあったし、指図するようでもあった。そして彼女は本棚の向こうへ消えた。また手紙を探しに行ったようだった。
気がついたことは、彼女が今の恋を叶えることに真剣であるということと、文庫本は手紙を隠すにはあまり適していないということだった。文庫本は小さいし、外カバーも中の紙も薄いから、何かを挟んだら上からはみ出るか厚みが増すかして、すぐにわかってしまう。
図書室にいよう、という気が急速にしぼんだ。くるりとその場で反転し、本棚と女の子たちの間を抜けていく。歩きながら感じる感情は、何故か呆れよりも怒りのほうが大きかった。早くこのばかげた戦場から出よう。ふつふつと心が沸騰していたが、突然、図書室の真ん中で足を止めた。それは、ぴりぴりした図書室の中で唯一そこだけが戦場でなく、しかし普段の図書室の物静かな空気でもなく、まるでデパートのキッズルームのような空気だったためだった。それを醸し出しているのが幼なじみだったのも、足を止めた理由の一つだった。
何してるの、という言葉は自然に出てきて、床に座り込んでいる彼を振り向かせた。
「何って、お前知らないの?」
突然声をかけられたことよりも、質問が予想外で驚いた、という風だった。きょとん、とこちらを見上げる彼に合わせてしゃがみこみ、何が、と声を尖らせる。
「はつ恋、っていう詩があってさ」
そして彼は、学校の生徒の皆々が語るのと同じ内容を話した。天使様の書いた詩、手紙、精霊。話しながら彼は開いていた本を閉じ、本棚に戻して隣の本を二冊手に取り、そして一つをこちらに差し出した。マイクロ波の最先端。
知らないの? という再度の問いかけに、知ってるよ、と苛立っているのを隠しもせずに答えた。
「でも、それって普通は女の子が参加するイベントでしょ?」
「じゃあ、男は参加しちゃだめっていうのか?」
「だめって訳じゃないけどさ」
だろ、と彼は得意げに言った。ていうかイベントって何だよ、と朗らかに笑う彼のおかげで、苛立ちが増した。
「みんな探してるんだ、俺だけ探しちゃいけないなんておかしいだろ」
彼は自分が手に取った本をぱらぱらとめくる。ほこりにやけた本には何も挟まれていない。持たされた本も、手が暇だったので開いてみたが、何も挟まれていなかった。彼は両方を棚に戻した。そしてまた二冊、取り出す。電子レンジの中身。電波総論。
しゃがみこんだまま棚を見上げるとずいぶん大きくて、押しつぶされてしまいそうだった。手を伸ばしても一番上の棚に届くわけのない距離だった。
でも、と彼は言った。
「もう誰か、見つけたらしいな」
天井は真っ白で、教室と同じパネルがはめてあった。放送用のスピーカーが丸く張り付いている。蛍光灯はここからでは見えず、棚の間は少し暗がりになっていた。棚の上のほう、一番上の手の届かない棚だけが照らされている。
彼のため息混じりの言葉はよく響いて、辺りの女の子たちの敵意よりも深く突き刺さった。誰か、見つけたらしいよ。頭の中で、再び言われた。え、とも言えずにいると彼は吹き出すように小さく笑った。けらけらと笑いながらも声を潜める。
「そんなに怖い顔するなよ、冗談だって」
彼は肩を震わせ、手にした本をぱらぱらめくっていく。
「しっかし。みんな、本気だよね。10分の休み時間でもつめかけてさ。昼休みも放課後も、朝早くから誰かしらいるもんね、いれかわり、たちかわり。誰もいないのなんて授業中くらいなもんじゃない?」
「ばっかみたい」
心の底からの軽蔑だった。彼の呆れとは違って、明確な侮蔑だった。馬鹿みたいな噂を信じて本当に手紙を探しに来る女の子達に、怒っていた。苛立ちを口にすると、それは丁度ボールを真上に投げたように急速に燃えあがって、そして、急速に冷めていった。ボールは落ちていく。
ぎょっとした様子の彼だったが、すぐに朗らかに笑った。ぽん、と頭の上に一度だけ手が置かれる。猫を撫でるような手つきだった。
「みんな、そんだけ叶えたい思いがあるんだよ」
ばっかみたい、と再び小さく呟くが、いじけてかすれた声だった。ボールは地面を跳ねて転がっていく。呆れて笑っている吐息が聞こえて、反撃するように聞いた。
「あんたも、そんな想いがあるの?」
「あるよ」
何の迷いもない答えだった。斬り捨てるのでなく、真正面からボールを掴み取るように、彼は即答した。
「だから、俺も一所懸命だったの」
誇る物言い。譲らない物言い。おどけたように肩をすくめてはいるが、指先までが強い意志に、叶えたい想いに満ちているようだった。
「過去形なの? もう諦めたの?」
揚げ足を取って言葉尻をつつくと、待っていたとでもいうように、違う違う、と笑った。
「だって俺、手紙見つけちゃったもん」
どうだ、と自慢げな笑み。けらけら、とおかしそうに笑っている。また冗談、と呆れたように言うと、ばれた? と彼はさらに笑った。当たり前でしょ、とため息混じりに返す。
「見つけるも何も、天使様からの手紙だの詩だのなんて、ないに決まってるじゃん」
他の女の子たちに聞こえるようにと思って言った言葉は、やっぱりよく響いた。どれだけの女の子がちゃんと耳にしたかはわからなかったし、その言葉を聞いて目の前の彼がどんな表情をしたのかもわからなかった。だがそのまま、今度こそ、図書室を後にした。
授業中の廊下は、嫌に静かだった。誰もいないはずなのに、あらゆるところから見られている気がした。女の子たちの敵意もあるように思えたし、それ以外のものもあった。例えばそれは、授業を抜け出すことに対する先生の叱責の視線だとか、同じく授業を抜け出すことに対する同級生の妬みの視線だとか、それから、何をしようとしているのかという好奇の視線。その全てが身に突き刺さるようだった。
廊下の先に見える図書室は授業で使われている様子はない。身を包む静寂から逃げるようにして、図書室へ急いだ。辿り着くと少しほっとして、半分開いた扉へ逃げ込むように滑り込んだ。そして滑り込みながらまずいと思った。もう隠れるには手遅れという頃になって初めて、図書室に誰かがいることに気がついたのだった。授業を抜け出していることに対する後ろめたさもあったし、「そこまでして"はつ恋"を探しにきた」と思われることが嫌で嫌で仕方がなかった。
「授業中にしか探せない」と同じように考えた女の子かと思ったが違った。先生ですらなかった。
「来ると思ったよ」
幼なじみの彼はカウンターの上にあぐらをかいて座っていた。予想外の人物の登場に、驚いて思考ごとその場に止まった。止まったのは自分だけで、相手はそんなことはないのだと、口を開くのを見て思った。待っていたのだ。来ることを知っていたのだ。
「探しにきたんでしょ。誰にも内緒で。"はつ恋"の手紙」
「あんたには関係ない」
恋をしていることを恥ずかしいと思うのはどうしてだろう。どうしてもどうしても叶えたい想いがある、それが恥ずかしいのはどうしてだろう。指摘されただけで揶揄されているような気分になるのはどうしてだろう。
他の女の子や先生だったら、忘れ物があったのでとでも言って授業に戻ろうと思っていたが、彼ならばその必要はない。広い図書室を授業中に探し回らなければならない。何度も授業をサボるわけにはいかないため、少しでも時間は惜しかった。横を通り過ぎようとする。
「本当に?」
今になって、さっきから彼の声が真剣であることに気がついた。焦りで早い鼓動のせいで気がつかなかった。真横からの真面目な声に素通りできず、振り向く。ほぼ真正面から見つめた表情も、声と同じくらい真剣だった。
「本当に関係ないと思う? 俺、さっき言ったじゃん」
「何を」
一文字ずつはっきりと口にする彼の言葉と違って、続きを促すように言った言葉はかすれていた。もう一度言おうか。彼はそう言ったが、次の言葉は容易に想像できた。冗談じゃ、なかったのだ。
「俺、手紙見つけちゃったもん」
本当のことだったのだ。冷静にそう悟りながらも、体が爆発したかのように熱くなっていく。背中から汗が噴出して、足の指先までどくどくと血が流れているのがわかった。
彼の手には手紙があった。差出人の名前は封筒には書かれていない。切手も住所もないが、宛名だけがあった。その封筒は紺色で、白で家の形かたどった模様があり、全体的に虹色のグラデーションがかかっている。中に入っている便箋も、同じ模様をしているはずだった。目を瞑っても思い出すことが出来る。文字を綴る時間よりも、便箋を見つめて悩んでいる時間の方が、長かったから。
「これ、お前の"手紙"なんだろ?」
真っ直ぐにこちらを見る彼を直視できず、視線をそらした。木目調の床へ向いたその視界では、頭の中全部が羞恥で燃え上がったせいで眩暈が起きていた。彼の手から手紙を取り上げて破り捨ててしまいたかったのに、指先すらまともに動かすことができなかった。
「返して」
どうにか呟いた言葉は震えていて、裏返っていた。泣き出しそうだということが、どんなに鈍い人間でもわかる程に表れている。
どうしても叶えたい恋を抱いていた。だからその想いの丈を手紙に記して、渡した。想いが叶おうと叶うまいと、手紙が物語に登場するのはそれだけのはずだった。渡した手紙は、受け取り主がずっと持っているか、彼の手で人知れず捨てられるはずのものだった。
学校に捨てた。
下駄箱にメモが入っているのを見た瞬間に失恋したことはわかって、それでも淡い期待を抱いて開いた中にはそう書かれていた。一瞬訳がわからなくて、そしてやっと意味を理解した時には顔から火が出そうだった。自分の手紙が、想い人ですらない、赤の他人に読まれてしまうかもしれない。そう気がつくと、なんてひどいことを、と思うよりも先に、どうにか探し出さなければと思った。手紙がかわいそうだと思った。たくさんの想いを込めて書いた手紙はまさしく自分の分身であった。寂しく捨てられている、なんていうのはどうしても許せなかったのだ。そしてあらゆるところのゴミ箱を探し回る途中で、図書室の噂を聞いた。聞いたときに、それだ、と思った。
「返して、お願い」
泣き出しそうな顔を隠すためにうつむいたのが、そのまま、頭を下げる形になった。擦り切れそうな感情をそのまま表した声。それをそのまま突き放すように、やだ、との声が届いたが、足の力が抜ける前に、頭の上に手が乗った。猫を撫でるかのような、優しい手つきだった。
「お前、どうせこれ、捨てられないだろ? それで、どうすんの? もう一度渡すの? とっておくの? そんなん、無理だろ。辛いだろ。だめだろ」
ぽんぽん、と頭を叩く優しい手よりも、言葉の方がずっと優しかった。
「放課後に屋上な。燃やしてやるから。それじゃ、だめか?」
慰める彼の言葉が少し震えていることに気がついた拍子に、彼の優しさが染み込んできた。羞恥に猛り狂っていた全身に、心地よい優しさがゆっくりと染み渡っていく。炎が暴れまわっていたような指先が穏やかな海に浸かっていく。海の雫が、目の端から鼻に伝って、下に落ちた。
あ、涙が落ちた。そう思うと、その場を去るのは早かった。泣いていることが彼に知られることがひどく恥ずかしくて、身を翻して図書室を後にした。足早に、それでも静かに廊下を急いでいると、放課後な、との声だけが背を追いかけてきて、その背に押されるようにして階段を下りた。
少年は少し迷ってからカウンターを飛び降りた。一息ついて、手の中の手紙を見る。
「追いかけないのか?」
気を抜いていたところに話しかけられて、文字通り少年は飛び上がった。振り返ると、図書準備室の扉の前で一人の教諭が腕を組んでいた。あちゃー、と少年は額に手を当てた。
「先生いたのかよ」
「いちゃ悪いか? 代わりに俺の仕事やってくれるのか?」
「いーえ、すいません、失言でした」
少年が大仰に頭を下げて見せると、教諭はあごで図書室の扉を示した。
「追いかけなくていいのか?」
「泣いてるの見せたくなくて逃げたのに、追いかけたらかわいそうじゃん」
当然のように少年は言って、カウンターにもたれた。そういうもんか、と一人うなずいて教諭は準備室の扉を離れる。そして、少年の隣でカウンターにもたれた。少年はかわいらしい手紙を手の中でもてあそんでいる。
「あの子が好きな人に送った手紙が、それか」
「そうだよ」
「天使様が隠したと噂の手紙もそれで、それは、あの子の好きな人が図書室に隠したんだな?」
そうだよ、と少年は再度言う。乱暴に破ってある封。少年は指先でそれを撫ぜる。壊れ物を扱うような、丁寧な手つきだった。
「なるほどな。どうしても叶えたい恋があるから探させて、なんておかしいとは思ったんだが、そういうわけか」
「あ、この前は本当にありがとね、先生」
両手を合わせて少年は頭を下げた。感謝はいらん、と教諭は軽く笑った。
「学校に連絡とか来なかった?」
「俺が忘れ物をとりにきたということになっているよ。それでいいんだろ?」
少年は何度も頷いて、重ねて礼を言った。誰かに見つけられるわけには行かなかったんだ、と肩をすくめる。そのせいで噂が余計に広がっちゃったのは誤算だったけど、と困ったように頬をかく。
「けどさ、詩、っていうのも言いえて妙だよね。普通の手紙っちゃ手紙だけど、まあ、詩的でもある」
それが恋なんだろうねえ、と少年は頷く。教諭は腕を組み、あごで少年の手の中の手紙を示した。
「何だお前、手紙、読んだのか?」
「当たり前じゃん。好きな女の子の手紙だよ? 俺宛じゃないのは知ってても、あの子のこと知りたいんだもん。あの子が何を書いたのか知りたいんだもん。あの子がどんな思いをどんな風に伝えたのか、知りたかったんだよ」
見られたくないのはわかってたけど。そう言う吐息には確かに後悔が混じっているようだった。
「先輩が手紙を捨てたのは何でなんだろう、って考えたかったんだ」
「何でなのか、わかったか?」
「全然。俺だったらそのままあの子の元に走ってくよ」
手紙読んで、余計好きになった。恥じらいはなく、自分の思いにただ自信だけを持っているようだった。一息ついても、その思いはまったく変わらない。ふうん、と教諭は感心したように息を漏らす。
「お前は、あの子が違う誰かのことを好きなこと、知ってたのか?」
「知ってたよ、もうずいぶん前から」
あっけらかんと少年は言ってみせたが、隠し切れない痛みのようなものが少しだけにじみ出ていた。
「大好きな幼なじみのことだから、何でも知ってんの」
困ったような笑みは少し大人びていたが、言葉と動作の端々から漂う恋の香りは幼かった。
「あの子がずっとある先輩のこと好きだったことも、一所懸命手紙書いてたことも、渡したことも、それが図書室に隠されたことも」
「うん? その子のことを見ていても、手紙が隠された場所まではわからないんじゃないのか?」
「まあね。それは、本人に聞いた」
本人? と教諭がオウム返しに問うと少年もまたオウム返しに答えた。
「そう、本人。先輩に、『手紙もらいましたよね、どうしましたか』って」
「やるなあ、お前。相手は素直に答えたのか?」
「いや、問いつめた。そしたら、取られたって言われたから誰に、ってさらに問いつめたら、幼なじみに、って言われて。その幼なじみの女にも聞いてきた。そっちはすぐに教えてくれたよ。わたしの彼に手を出すから悪いのよ、だってさ。まったく怖いお姉さんだこと。殴らなかった俺を褒めてほしいね」
それは偉い、と教諭は感心したように呟いて、少年は、だよねやっぱり、と声を上げた。やっぱりあの女は最低だよ、と続ける。どん、とカウンターを叩いた。教諭は少々驚いて少年を見やる。
「男の方も最低だけどね。だって、あの子がどれだけの想いで手紙書いたか知ってる? 俺だって知らないけど、でも想像できる範囲でも、汚しちゃいけないってコトくらいわかんないわけ? 好きで好きで仕方がなくて心が痛くなって、それで甘い純情のつぼみが膨らんで膨らんではちきれそうだからペンを手に取るわけだよ? そんな、他に変えられない唯一のきれいでかわいいもうすばらしいお手紙をだよ? どうして手放すわけ? どうして蹂躙するわけ? 意味がわかんねえ。本気で切れちゃうよ、俺」
ねえ、とにらみを利かせて脅すように少年は言う。少女の羞恥と同様に、少年の怒りも猛り狂っていた。いさめるように、落ち着け、と教諭は少年の額を叩く。
「お前がそこまであの子のことが好きなのはわかった」
「俺の気持ちがわかった、って? 馬鹿言っちゃいけない、先生、そんなん氷山の一角だぜ?」
肩をすくめながら少年は言う。手紙を胸に抱えて、深呼吸をする。
「こんな愛らしい感情が俺じゃなくてあんな最低な人間に向いていることとか、最低な人間のせいであの子がたくさん傷ついたことを思うだけで、泣いちゃいそうだよ」
言うとおり、少年の声は震えていた。泣かないけどね、と続けた言葉に力はなかったが、それ以上に悲しみがにじみ出るような様子はなかった。教諭は、それを彼女に言わないのか、と問いかけた。
「だって、今は俺の恋が叶う時じゃないから」
言うわけないじゃん、と首を振った。教室では授業が行われている。学校は静かだった。
「ふうん。時、っていうのがあるのか?」
「そうだよ。時機ってのがあるんだ。先生にはなかった?」
どうだろうな、と腕を組む教諭の左手にはシルバーリングが光っている。しばらく教諭の薬指を眺めてから、さて、と時計を見上げた。
「用事も済んだし、授業に戻りますか」
少年は軽く肩を回して、手紙を大事そうにポケットにしまう。教諭も軽く返事をして片手を挙げる。
「がんばれよ」
「何を?」
少年が困ったように笑うと、教諭は左手を握り締めて突き出した。少年のお腹に、とん、とやわらかく拳があたる。がんばれ、と再びの声に、少年は力強く笑った。
「いつか、俺とあの子の恋、両方いっぺんに叶えてやるよ」
いつか、その時が来たらね。
じゃあね、と片手を挙げて少年は図書室を去った。
天使様の手紙ではなく、大好きな女の子の、違う誰かへの手紙は少年が手に入れた。今はまだ、少年の恋は叶わないし、少女の恋も叶わない。しかしまた授業が終われば、己の恋を叶えるために生徒たちがやってくる。誰かの恋が、そろそろ叶う頃かもしれなかった。
競作小説企画Crown様 第十八回テーマ「初恋」 投稿
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