彼女はいつも、夢に現れる
バスケットを持ってこう歌う。

勇気、勇気はいかが?
色んな勇気があるよ。

さあ、勇気を買いにおいで。




  勇気屋 B 〜burn〜




さあ、お前はどんな勇気が欲しい?

歌が聞こえて、男はそちらに耳を傾ける。
ふわふわした空間だ。
一体ここはどこだろう。
向こうの方でフードを被ったおばあさんが歩いている。
おばあさん、と判断したのは声と、腰が曲がっているからだ。
それもあながち間違っていないだろう。
静かにそちらに向かって歩き出す。
綿を踏んで歩いているような気分だった。
おばあさんはこちらに気付いたらしく、ヒッヒッヒと笑った。

お前は、どんな勇気が欲しいんだい?

意外としっかりした声でおばあさんが言った。
俺は、俺は、

お前にはこの勇気をあげよう。

迷っているうちにそういって手を差し出すおばあさん。
俺も、それを受け取ろうと手を伸ばす。



Bの勇気だよ。




 *


♪〜♪♪〜〜♪〜

携帯電話の着信メロディを耳に入れながら、男は目を覚ました。
学校に行く時間か。
そう思いながら携帯電話を取る。

「はよ」

寝ぼけ声なのはいつものことだ。向こうも気にしていないだろう。

「どーも、おそようでーす」
「いつもありがとよ。んじゃ、俺は仕事に行くから」

朝の遅い読川よみかわ竜秦たつやすはいつも起こしてもらっている。
竜秦とは反対に早起きが得意な差峰さしみねゆきに。
ちなみに雪は男であるため、恋仲ではない。

「先輩。何言ってるんですか?」

竜秦の大学の時の二つ下の後輩で、今でも付き合いがある。
雪は挨拶を冗談めかして言ったが、竜秦の言葉に真面目な口調へと戻る。

「は?」
「今日は日曜日ですよ」
「そうなのか……」

言われてみればそうである。
言われなくても日曜日は日曜日だが。

「いや。ちょっと待て」

疑問が浮かんだ。

「なんでしょう」
「じゃあなんでこんな早くに起こす?」

不機嫌に目を細めて聞く。

「先輩いじめです」

電話越しにも嬉しそうな声が聞こえて腹が立ったので竜秦は電話を切った。
んーっと伸びをする。
不思議ともう一度寝る気は起きなかった。
机の上の写真立てに目を向ける。
少し前の自分と、一人の女性が映っていた。

「ひかり……」

呟く。
そういえば、なにか不思議な夢を見た気がする。
確か、白雪姫に出てきそうなおばあさんがいて…。
何か若草色の包みをくれた気がする。
ふと、写真立ての横の、あるものに目が留まった。

若草色のハンカチだ。

緑系の色はやはり心を和ませる。
写真を見て沈んだ心をほぐしてくれた。

「さて。行くかな」


 *


505号室を通り過ぎ、506号室の前で止まる。

「入るぞ」

声をかけてドアを開ける。
いつ見ても変わらない、光の姿。
たくさんのコードとつながっていてベッドの上で寝ている。

先ほどかけた声に反応するはずがなくて。
彼女、差峰光はいわゆる植物状態だった。
苦笑しながら竜秦は後ろ手にドアを閉める。

彼女が自動車に追突されたのは1ヶ月前のことだ。
同僚は仕事を休むように勧めたが、それも悪いのでやはり学校へは通っていた。
しかし、授業の半分以上は自習、HRは生徒運営。
事情を知っていた人は哀れみの目。
事情を知らない人は非難の目。
仕事は苦痛でしかなかった。
ここ、光のいる病室が一番安心する。

ベッドの脇にあるイスに腰掛ける。
悲しみを隠せない表情のまま、そっと手を握る。

「あれ、先輩来てたんですか?」

慌てて手を離し、振り向けば今朝『先輩いじめ』を成し遂げた雪がいた。

「まあな」

素っ気無く答える。
先ほど手を握ったことが今更恥ずかしく思えてきた。

「手、握っててもいいんですよ」

おどけた口調で雪が笑う。
ぽん、と音がしそうなくらいに赤面する竜秦。

「うるさい!」
「先輩の方がうるさいです。ねえ、姉さん」

肩をすくめながら光の顔を覗き込む。
光は雪の一つ上の姉だ。
そして、竜秦の恋人だった。

「毎日毎日、よく飽きないですね。今日はまあ休日ですけど」

ふん、とふてくされる竜秦は何も答えずに光の顔をじっと見つめる。
そして再び手を握った。
雪は持ってきた花を飾っている。

「仕事帰りなんて疲れているくせに」

毎日、竜秦は消灯寸前まで病院にいた。
ここにいれば安心する、というのもあるが他にすることがないのも事実だった。

「水、替えてきますね」

雪は花瓶を持って出て行った。
カバンから、写真立てを取り出す。
決して写真に写ろうとしない光をどうにか説得したものだった。
そして、
『わたしに何かあったら、これは燃やして』
といわれたものだった。

写真をだして、写真たてをカバンに戻す。
一枚しかない光との写真。
燃やしたくはなかった。
けれども、あのときの真剣な眼差し。
写真をもてあそびながら考えにふける。

「あれ。それ裏に何か貼ってありますよ?」

いつの間にか、雪は戻ってきていたらしい。
驚いて写真を裏返してみれば確かに、わかりにくいが白い紙が貼ってある。

「これ、はがせるのか?」
「ぴったり貼ってありますからね。無理かもしれません」

ぴらぴらと右上からめくろうとするがしっかりくっついている。
もはや1枚の紙だ。

「姉さんから何か聞いてないんですか?」

そういえば、探偵をやっていると教えてくれた時に何か言っていた。

「ちょっと外いってくる」

そういい残すと竜秦は病室を出た。
ドアを見つめていた雪。
しばらくしてそっと優しく微笑んだ。

「世話がやける人だ。ね、姉さん」


 *


外の冷たい空気が頬を撫でる。
すぐそばの公園に、竜秦はいた。
この寒い時期に、しかもこんな町外れの公園に人気があるはずがなかった。
ベンチに座って缶コーヒーを開ける。
一口飲んだ後、指にたらし、写真の裏側のふちにそって指を滑らせる。

探偵をしていた彼女がどこかの研究所の依頼を受けたときのこと。
不思議な紙と接着剤をもらった、と光は言った。
彼女の話によれば、水に溶けない紙と、強力な接着剤らしい。
接着剤はコーヒーをつけると取れる。
この二つを使うと、コーヒーにつけなければ読めない秘密メモができるのだそうで。
普通はだれも紙をコーヒーにつけないから読まれないだろう。と言っていた。
ちなみにその接着剤にコーヒーをつけると取れることを見つけたのは光だ。
研究所は火事で焼けてしまい、研究員も死んだため、それを知っているのは光と竜秦だけである。

ぺろん、と紙がはがれた。
手紙だった。
それには、こう、書かれていた。


To.最愛の竜秦

これを読んでいるのがいつのことなのか。
できればわたしの生きているうちがいいな。
読んでもらえなかったらどうしよう、とか心配しています。
わたしのやっている、探偵の仕事はそれなりに危険です。
恨みを買うことだってあります。
だから、わたしもいつ死ぬかわかりません。
わたしの周りの人にも迷惑がかかるかもしれない。
だから、写真は燃やして欲しい。
無駄かもしれないけれど、もしそれがもとで
竜秦に迷惑がかかったら嫌だから。
今までありがとう。
これからもずっと竜秦のこと愛しています。
              From.光


コーヒーのついた指を若草色のハンカチで拭く。
ポケットからマッチを取りだして、火をつける。
手紙に火をつけようとするが濡れている。
1本目のマッチが燃え尽きる頃、手紙は乾いた。
2本目のマッチで、手紙と写真に火をつける。


ありがとう


どこかから、そう聞こえた気がした。
そして、病室のカバンの中から写真立てが空気に溶けた。
膝の上の若草色のハンカチも、冬の冷たい空気に溶けた。












burn。…を燃やす、焼く。



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