彼女はいつも、夢に現れる
バスケットを持ってこう歌う。

勇気、勇気はいかが?
色んな勇気があるよ。

さあ、勇気を買いにおいで。




  勇気屋 C 〜call〜




さあ、お嬢ちゃんはどんな勇気が欲しい?

歌が聞こえて、少女はそちらに耳を傾ける。
ふわふわした空間だ。
一体ここはどこだろう。
向こうの方でフードを被ったおばあさんが歩いている。
おばあさん、と判断したのは声と、腰が曲がっているからだ。
それもあながち間違っていないだろう。
静かにそちらに向かって歩き出す。
綿を踏んで歩いているような気分だった。
おばあさんはこちらに気付いたらしく、ヒッヒッヒと笑った。

お嬢ちゃんは、どんな勇気が欲しいんだい?

意外としっかりした声でおばあさんが言った。
わたしは、わたしは、

お嬢ちゃんにはこの勇気をあげよう。

迷っているうちにそういって手を差し出すおばあさん。
わたしも、それを受け取ろうと手を伸ばす。



Cの勇気だよ。




 *


「ほら、朝よ。起きて」

優しい声が聞こえて、少女は目を覚ます。
お母さんだ。
ぱたぱたと部屋の中を歩き回っているようだ。
目をこすりながら体を起こす。

「おはよう、心由みゆう
「おはよ……」

幸早ゆきはや心由は寝ぼけ眼で母、亜季江あきえの足取りを見つめる。
もうすでに仕事行きの格好をしていた。
いや、まだ化粧をしていない。
彼女はタンスの前まで来ると下から2番目の引き出しを開ける。
服を取り出すと、心由の方に投げた。
びっくりして目をまるくする。

「早く着替えなさい。下にパンおいてあるからね。いい子にしてるのよ」

そう言うと部屋を出て行った。
恐らく化粧をしにいったのだろう。
もう、いつも子供扱いするんだから。
心由は頬を膨らますが、彼女はまだ4歳である。
子どもを子ども扱いして何が悪い、というものだ。

パジャマをいそいそと脱ぎ捨て、投げられた桃色の洋服を着る。
ワンピースのいいところは着るのが面倒でないところだ。
だけども下がスースーするのが嫌だ。
などと子どもらしくないことを考える心由。

そういえば、なにか不思議な夢を見た気がする。
確か、白雪姫に出てきそうなおばあさんがいて…。
何か桃色の包みをくれた気がする。

思い出していると、後ろから風が吹いたような気がして振り返る。
どこの窓も開いていない。
ふと、心由は枕の横にあるものを見つけた。

桃色の髪ゴムだ。

新しく買ってきてくれたのかと思い、いつものとおり髪を結う。
前髪を集めてたてて、通称ちょんまげを作る。
先に、小さな黒いゴムで縛っておいた。
新しい方は小さなふさふさの物体がついているのであとからそっとつけるべきと、4歳児の思考で判断したのだ。
つけ終わると、鏡を覗き込む。服に合っていてなかなかかわいい。
もうひとつ、おしゃれと称して同じ桃色のピンを耳の上あたりにつける。
心由はパンを食べるべく、部屋を後にした。


 *


驚いて、テレビの抱き合っている男女のことなど頭から吹っ飛んだのは午後の3時のこと。
亜季江が文字通り飛んで帰ってきて、開口一番、 「心由、落ち着いて」 と肩をがっしりつかんだのだ。
息を切らして、きょろきょろと言葉を捜している亜季江に、 「お母さんが落ち着いたら?」 と心由は平然と言った。
4歳児の指摘に我に返ったのか、亜季江は深呼吸。

「お父さんがね、事故にあったの」

さほど、ショックではなかった。
父といっても血のつながった親ではない。
心由が生まれて間もないころに本当の父は死んだらしい。
再婚相手は、父と同じ研究所で働いていた人だった。
父の死後2年経った時に再婚したらしい。
とてもいい人なことはわかっているが、やはり心の奥で本当の父でないことを知っているらしく、まともに話したことはない。

それよりも、亜季重はまたもや夫を亡くしてしまうかもしれないのだ。
心由は亜季重の方が心配だった。

「そこの病院にもうすぐ運ばれてくるみたいだから行きましょう」

町外れにある病院。
場所がないためにあんなところにあるがあれでも確か県営である。
確かに施設は大きい。
そんな頼れる病院は、「そこの病院」といえる程近かった。
この幸早家も町外れに位置しているのだ。
心由は保険証を持ってオロオロしている亜季江を横目で見ながら、
ストーブ、暖房、窓閉めの確認を行った。

「お母さん、行こう」
「え? あ、ああ、そう、そうね」

亜季江が心由の手を引っ張る。
強く強く握る亜季江の手は震えていた。
心由はじっとその手を見つめていた。
外に出て、閉めるべく鍵をさそうとするが震えて入らない。
不安げに見ていた心由は貸して、と鍵を奪いとり、手早く鍵を閉めた。
もうすでに見えている病院を目指して早歩きで向かう。

「あら、こんにちは」

どこのおばさんだったかが、犬の散歩をしていた。
亜季江が答えないので、心由は軽く頭を下げておいた。
隣の小さな公園に人影はなく、近くの自動販売機は静かに佇んでいる。
あっという間に通り過ぎ、病院の救急車搬入口についた。
亜季江は息を切らしていた。

冬のどんよりした空気は亜季江の夫である彼の命とともに、
母の、亜季江の元気も吸い取ってしまうのではないか。
心由は不安になる。

遠くの方から、不機嫌な救急車の音が聞こえる。
さらにぎゅっ、と手が痛くなる。
さすがに耐えられない。

「お母さん、痛い」

しかし、聞こえていないようで心配そうに近くなった救急車の音の方を見ている。
仕方ないか、と心由は諦める。
と、そこへ父を乗せた救急車が入ってきた。
手が一瞬緩む。

「夫は? 夫は!?」

亜季江が叫ぶ。
後ろのドアが開いて、父らしきものが出てきた。
らしきもの、というのは死んでいたりぐちゃぐちゃなわけでない。
ただ、布を被っているのだ。
怪我が酷いのかもしれない。
何人かの人がついて中に入る。

亜季江が一人で走って追いかけていった。
いつの間にか手を放していたらしい。
自分の、小さな手を見つめる。
まだ体温の残る手は自分のものではない汗でいっぱいだった。
見た目どおりに、否、見た目以上に不安なのかもしれない。

風が吹いて、ふと我に返り、心由も後を追う。
父が手術室らしい部屋に入るところだった。
亜季重が必死に話しかけており、看護婦がそれをなだめている。

「大、丈夫だ……」

父が口を開いた。
亜季重はぽろぽろと涙を流し始めた。

心由は、何か言わなくては、と思った。
病院の、光沢のある壁に自分の姿が映っている。
自分ではわからなかったのだが、とても悲しそうな顔をしていた。
そして、かわいらしい桃色の髪ゴム。

「お、」

閉まりそうなドアに向けて声を出す。


「お父さんっ!!」


一瞬こちらを見た父は、とても驚いた顔をしていた。
はじめて、そう呼んだから。
心由の泣きそうな顔を見て、優しく微笑んで、ドアは閉まった。

「心由……」

びっくりした亜季江が涙をこぼしながら心由を抱きしめる。

「お母さん……」

ぱりん、と心由の頭の桃色の髪ゴムが音もなくはじけた。
そのあと、耳の上辺りの桃色のピンも、音なくはじけた。













call。(声をあげて)…を呼ぶ



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