彼女はいつも、夢に現れる
バスケットを持ってこう歌う。
勇気、勇気はいかが?
色んな勇気があるよ。
さあ、勇気を買いにおいで。
勇気屋 D 〜die〜
さあ、お嬢ちゃんはどんな勇気が欲しい?
歌が聞こえて、少女はそちらに耳を傾ける。
ふわふわした空間だ。
一体ここはどこだろう。
向こうの方でフードを被ったおばあさんが歩いている。
おばあさん、と判断したのは声と、腰が曲がっているからだ。
それもあながち間違っていないだろう。
静かにそちらに向かって歩き出す。
綿を踏んで歩いているような気分だった。
おばあさんはこちらに気付いたらしく、ヒッヒッヒと笑った。
お嬢ちゃんは、どんな勇気が欲しいんだい?
意外としっかりした声でおばあさんが言った。
わたしは、わたしは、
お嬢ちゃんにはこの勇気をあげよう。
迷っているうちにそういって手を差し出すおばあさん。
わたしも、それを受け取ろうと手を伸ばす。
Dの勇気だよ。
*
ピッ、ピッ、ピッ、ピッ、
規則正しい機械音が響く。
そのすぐそばで、少女はそっと目を覚ます。
まだ朝も早く、空の端っこがうっすら明るくなり始めた頃だった。
今日はいい天気になりそうだ。
顔を動かしてみると、窓の向こうに、小さな公園が見えた。
そこには人っ子一人いなかったが、黄色いボールが落ちていた。
ああ、だれかが忘れていったんだな、と目を閉じる。
淡い呼吸が部屋に、病室に響く。
ピッ、ピッ、ピッ、ピッ、
よくわからない機械が規則正しいリズムを繰り返す。
腕に、点滴の管が触れている。
なんで、こんなところにいるんだろう。
自嘲的に笑う。
少女は、時雨院空という。
今の日本中で知らない人はいないと言えるほど、常識人ならだれでも知っている名である。
時雨院。
莫大な財産を抱えた財閥である。
各方面の事業でも数々の功績をあげ、いたるところにその関連製品があるという。
空はまだ17歳だというのにその時雨院の次期会長である。
もうすでに会長といってもいいかもしれない。
両親は交通事故で他界、前会長の祖父も一昨日他界。
つまり今、時雨院に会長はいない。
祖父は生前空を大変かわいがっており、遺書に「会長の座は空に譲る」と記してある。
会長の座はほしいといえばほしいが、叔父や叔母からの視線が耐えられない。
そんな世界から逃げ出したくなった空は学校の屋上から思いっきりジャンプした。
風を切って落ちるのはとても気持ちよかった。
しかし、全身複雑骨折、内臓損傷のくせして、名医師とやらのおかげで空は一命を取り留めた。
ちなみに両足はもう完治している。
なんと、正式に会長となるのは明日である。
ギプスをしてでも出なければならないらしい。
天井を見つめ、明日のことを考える。
刹那、目の前が真っ暗になった。
目を閉じたわけではない。
目を丸くして、周りを見回すがとくに何も変わったことはない。
わたしも末期かな、と体を起こす。
そういえば、なにか不思議な夢を見た気がする。
確か、白雪姫に出てきそうなおばあさんがいて…。
何か空色の包みをくれた気がする。
視界が元に戻る。
戻らないほうがよかった、と小さく息を吐く。
病室。白い病室。色とりどりの花束。
ふと、花束の横の、あるものに目が留まった。
空色の宝石のついた指輪。
アクアマリン、ではないだろう。
その不思議な石の指輪を、右手の薬指にはめる。
ぴったりである。
ふうん、と感心しながら下の引き出しを開ける。
写真の入っていない四角いロケットがついたネックレスを出す。
寂しそうにそれを見つめ、身に着ける。
「明日が、」
空は今しがた手にはめた指輪の宝石と同じ色に染まりゆく窓の外を見つめ、呟く。
「なくなってしまえばいいのに」
*
遠い遠い空に手を伸ばす。
自分自身に手を伸ばす。
指輪と同じ色の空に手を伸ばす。
届かない空に手を伸ばす。
今、自身を捕まえているのはこの柵。
さすがに病院。自殺防止のためか柵は2mはあるだろう。
一番上は1mくらい手前に伸びているため、超えることすら出来ない。
どこかに出るところはないだろうか。
辺りを見回してみると、扉があった。
そう簡単に開くはずはないと思いながらも何度か押す引くを繰り返す。
鍵がついているようだが、周辺がさびている。
乱暴にドアをゆすると、都合よく開いた。
幸い、周りには誰もいなかった。
空は後ろ手にドアを閉める。
深呼吸。
指輪とロケットに目をやる。
よし。わたしはわたしになろう。
空に足をかけたそのときだった。
「死ぬの?」
そう聞こえて、足を止める。
目を見開いて声の主を探す。
声の主、少年はなんと自分のすぐ横にいた。
驚いて左に数歩後退りする。
「そうだよ」
空は、早くなった鼓動を感じながら答える。
少年はふうん、と納得したような顔をして目を閉じた。
薄茶色の髪をなびかせ、少年は口を開く。
「聞いて、空」
少年は空の方を向いて優しく微笑んだ。
わたしのこと? じゃあ何故わたしの名前を知ってるの?
そう聞きたかったけれど、強く風が吹いてさえぎられた。
しかし、彼は上を見上げて言うので、空には、自分に言っているのか大空に向かっていっているのかわからなかった。
「君ならできる。これ以上、犠牲を出してはいけない。俺みたいな犠牲者は、もういらないんだ。
……ねえ、空。この大空のどこかに、俺はいるから。君は空の恩恵を受けた、時雨院の後継者なんだから。
だから、犠牲を、止めて?」
なんで、自分が時雨院ということを知っているのか、それも聞きたかったけれども、何故か納得していた。
彼が知っていなくて誰が知っているというのだ。そんな気持ち。
「そして、ひとつだけお願いがあるんだ」
1歩だけ少年は進んで、少しでも動けば落ちてしまうだろうところにそっと立った。
「空色のコードをぬいてほしい」
少年がそう言うと、いままで感じた中で一番強い風が吹いて、空は柵に身を預け、目を閉じる。
風の音が遠くに去ってから、そっと目を開ける。
すると、少年は何もないところに立っていた。
空に浮かんでいた。
「これ以上、母さんに迷惑をかけるわけにはいかないから。
大丈夫。誰にもばれないし、誰の迷惑にもならない。
それどころか何人の人が喜ぶか……。だから、お願い」
そこで少年は一度言葉をきって、空を真正面から見据える。
「空色のコードをぬいてほしい」
少年がもう一度だけそういうと、ぱりん、と音がして少年の姿は大空にはじけた。
あとには、空色の輝きが少しだけ残っていた。
*
「ごめんなさい」
わけのわからないことが起きてしまったので、とりあえず自殺は保留、自室へと帰る途中だった。
空とすれ違う瞬間ひとりの女性がふら、と倒れそうになった。
驚いて手を出すと、その小柄な女性は倒れずに済んだ。
ありがとうとごめんなさいを、何度も繰り返すので空は困惑した。
彼女は、丁度自分の母親くらいの年齢のようだった。
「あら、あなたもしかして秋彦の友達?」
ふと、空の服装に気付いたおばさんは、喜びの表情を見せた。
パジャマのまま死ぬのが嫌だったため、今来ているのは私服だ。
そのため、見舞い客に見えないこともない。
女性は、空を「秋彦君」の知り合いだと決め付けてしまったらしく、病室に招き入れた。
505号室である。
時雨院のご令嬢だとは公にはなっていないが、やはり死なれては困るのか、空の部屋には余計な機材がたくさん部屋にあった。
しかし、それとはまた違う。
同じくらい、たくさんの機械はあった。
しかし、ベッドに寝ている少年の体に向かっているコードの数が違った。
数えようと思ったとき、空は少年の顔に目を留める。
「あ……」
先ほど屋上であった少年だった。
しかし、薄茶色の髪の毛が揺れ動くことはなかった。
彼はずっと目を閉じていた。
「驚いた?」
振り向くと、女性はいすを用意してくれた。
恐らく、この秋彦の母親だろう。
改めてみれば、とてもやつれている。
普通に肉がついたら、さぞかし綺麗だと思える相貌だった。
「実はね、秋彦は植物状態ってやつなの。学校では喘息ってことになってるけど」
知らなかったでしょ? と苦笑いをする女性。
植物状態という人間に出会ったのは、空もはじめてのこと。絶句、という状態だった。
女性は、誰かに話したかったのか、彼が植物状態になった経由を話し始めた。
秋彦はバイトで工事現場に通っていた。
時雨院系列の会社が取り仕切っているところだったらしい。
時雨院建設が建造の際に使っていた薬品が有毒、という話は今一番のニュースだ。
ただ、丁度それを大量に吸い込んだ秋彦は、脳死、となってしまったらしい。
それは秋彦だけの話ではない。他にも重症患者がたくさんいる。
彼女はそこまで話すと、本当に悲しい事件ね。と言った。
本当に。と小さく呟く空。
女性はその煮え切らない返事を、身近にその被害者がいることに驚いている、ととったらしい。
無理もないわね、と言った。
空が会長になるのを拒むのはこれにもあった。
会長になったとたん謝罪の会見。
しかも17歳の若さにして。
内部情報だが、それはグループの幹部が社長に言いつけて行ったものらしい。
しかし公になっているのは社長以下である。
「あなたの名前、聞いてもいいかしら?」
自分はその問題から逃げ出そうとした。
今、逃げたくとも逃げられない人を目の当たりにして、空は自分が嫌になった。
聞かれてしまったので、空は胸を張って、息を吸い込んだ。
「わたしの名前は時雨院空。次期時雨院グループ会長です」
彼女は、明らかに狼狽したが、結局何も言わないままに花瓶を持って外に出て行った。
出て行くとき一瞬振り返ったその顔は、懇願を表していた。
しばらく、いすに座って秋彦の横顔を見つめていた空だったが、自分の使命を思い出した。
たくさんつながっているコードを見回す。
あった。
まるで今日の澄み切った空のような色のコード。
手をかける。
躊躇が手を止める。
ふと、右手の指輪が目に入る。
無駄な力が抜け、手に少しの力を入れる。
もともと緩んでいたらしく、軽く引っ張るとすぐに抜けた。
機械の音が止んだ。
ドキドキしながら、秋彦を見ると、彼は、笑っていた。
空も、そっと笑うと背を向けて病室を後にした。
すると、だんだん色が薄くなり空気に溶けるものがあった。
空色のコードと、
空色のの宝石のついた指輪
数年後、少年の写真が入ったロケットをつけた、最年少グループ会長が評判となる。
それはまた、別のお話。
die。(人などが)死ぬ、(植物などが)枯れる
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