彼女はいつも、夢に現れる
バスケットを持ってこう歌う。
勇気、勇気はいかが?
色んな勇気があるよ。
さあ、勇気を買いにおいで。
勇気屋 E 〜extend〜
さあ、お前はどんな勇気が欲しい?
歌が聞こえて、少少年はそちらに耳を傾ける。
ふわふわした空間だ。
一体ここはどこだろう。
向こうの方でフードを被ったおばあさんが歩いている。
おばあさん、と判断したのは声と、腰が曲がっているからだ。
それもあながち間違っていないだろう。
静かにそちらに向かって歩き出す。
綿を踏んで歩いているような気分だった。
おばあさんはこちらに気付いたらしく、ヒッヒッヒと笑った。
お前は、どんな勇気が欲しいんだい?
意外としっかりした声でおばあさんが言った。
俺は、俺は、
お前にはこの勇気をあげよう。
迷っているうちにそういって手を差し出すおばあさん。
俺も、それを受け取ろうと手を伸ばす。
Eの勇気だよ。
*
ドン!ドン!!
決して穏やかとはいえないノック。
ドアを蹴っているのだろうか。
「おい! でてこい!!」
目をぱちぱちさせる。
紛れもない自分の部屋だ。
ぼろアパートで、家賃は2万円程度。
ここは奴らにはばれていないはずだったのだが。
「みいくぅん? まだ寝てるんでちゅかぁ?」
そうだれかが言う。
ドアの外がどっ、と笑いに包まれる。
みいくんというのは風高水武のあだ名である。
とはいっても親しい人に愛情を込めて呼ばれるものではない。
敵に、嘲笑をこめて呼ばれる名である。
音を立てないように、そっと起き上がる。
裏側の窓をそっとのぞく。
3人。
ドアの前には5、6人程がいるだろう。
いまだうるさいドアに面倒くさそうな目を向ける。
頭をぽりぽりとかく。
昨日は帰って、シャワーを軽く浴びてからベッドにダイブしたため、すぐに外出できる服だ。
軽く乱れた服をすこし直して、水武は脇においてあったボストンバックを手に取る。
ため息をつきながら一応置いてあった目覚まし時計も逆の片手に掴む。
「面倒だなあ、全く」
そういえば、なにか不思議な夢を見た気がする。
そう、確か、白雪姫に出てきそうなおばあさんがいて…。
何か朱色の包みをくれた気がする。
ま、いっか。
目覚まし時計を右手に持ち替えて、左手をカーテンにかける。
ふと、何かが動いた気がして、反射的に振り向く。
閑散とした、色のない部屋の中にひとつだけ鮮やかなものがあった。
朱色の丸いプレートのついたストラップ。
ポケットから携帯電話を出し、携帯クリーナーとミニライトの間にそれをつける。
軽く微笑み、それをカバンの方にしまう。
「水武!! いい加減にしろよ!!! ……おい、本当にここが水武の部屋なのか?」
威勢よく言った割には弱気だな。
大きく欠伸をすると、なるべく大きな音を立てないようにカーテンと窓をシャッと開ける。
間髪おかず、左手を窓枠において体重を前にかける。
重力に引かれながら、携帯電話を取り出した一人に向かって目覚まし時計を投げる。
風を切りながら、風高水武はボロアパートの、決して低くない2階から飛び降りた。
*
チャリン、ピッ、ガコン
そんな音がして、水武はコーヒーの缶を自販機から取り出す。
暖かいというよりは熱い。
両手で何度か持ちかえる。
袖のすそをのばして持つと、布が熱を遮断してくれた。
プルタブを起こし、戻す。白い湯気が立つ。
口に少し入れると舌が痛い。水武は猫舌なのだ。
適当に走って着いた場所は街外れの病院だった。
すぐそばにくっついている小さな公園で一服することにしたのだ。
先ほどのようなことは今までにも何度かあった。
そのために、家賃は前払いだし、荷物はボストンバック一つなのだ。
警察から言えば水武や彼らに違いはないだろう。
水武はそんな風に一緒にされるのが嫌だった。
なぜならば。
「あ! お兄ちゃん!」
後ろにある公園から声が聞こえた。
振り向けば、水色のジャンパーをはおった、6,7歳の少年だった。
「ああ、昨日の」
頭の中で検索をかければ一番新しい項目に、彼はいた。
「昨日の『敵』はもうどっかいったの?」
「ん? そうだな、まだうろうろしてるから気をつけな」
コーヒーに口をつけたいのだが熱くて飲めない。
眉をしかめながら少年に目をやる。
「ありがとう! 『ヒーロー』のお兄ちゃん!」
ばいばい、と手を振って、少年は友達のもとに走っていった。
軽く手を振る。
子どもだって奴らと自分の区別はわかっているのに警察は馬鹿だ。
ヒーローの仕事は、昨日も一昨日も同じ事。
奴らの手口はいつも同じだから。
適当に、このあたりで遊んでいる小さな子を捕まえて、遊ぶと称してリンチの現場に付き合わせる。
リンチされるのは、これもまたそのあたりで下校でもしていた学生。
もちろんカツアゲは当たり前である。
何が目的で、何が楽しいのか、と水武は以前聞いた事がある。
彼らのひとりはこう答えた。
「ストレス発散とー、金集めとー、あとさ、人が苦しんでる姿って惨めじゃん?」
そういって笑う姿の彼を、水武は右ストレートで2,3mは飛ばしてやった。
数人が仇をとるべくして一気に襲ってきた。
だから、恐れをなして逃げ出した奴らを追う事は出来なかった。
詳しく書くほどのことでもないので結果のみ書けば、公園にいた加害者組は全員気絶。
カツアゲされた学生から千円札を1枚いただいて他を返し、捕まっていた少年を家まで送った。
しあげに、いつもどおり警察を呼んだ。
そして、自分は逃げる。
この事件がどうなったかは知らないが、捕まった事は確かだろう。
思考をめぐらせながらコーヒーを少しだけ口に入れる。
なぜならば、俺は「悪をもって悪を制す正義の味方」だから。
そう称したのは、はたして誰だっただろうか。
*
真っ赤な太陽が空の端に沈んでから、数時間。
水武は夜の散歩、パトロールをしていた。
奴らの出没地域は、西公園の林の中か、南の海岸あたりである。
今は海岸に向かっているところだった。
海岸には倉庫がたくさんあり、その中でアレが行われる事も多々ある。特に冬は。
今日はなんとなく、嫌な予感がしていた。
だからといって、カツアゲされる学生を、虐め現場を見せられている子供を、放っておくわけにはいかない。
埋立地につくと、耳を澄ます。
英字倉庫の方から、音が聞こえる。
そちらに向けて歩き出すにつれ、胸騒ぎが大きくなる。
段々、中の声が聞こえてくる。
「おい、水武は来ないのか?」
ああ、罠か。
そう思ったが、これまでにも何回かそういう事はあった。
それなりに切り抜けてきてはいる。
大丈夫。
そう自分に言い聞かせて、横の窓からそっと中をのぞく。
30人くらいの『敵』。
学生はいないようであった。
子どもは、倉庫のダンボールの上に座って後ろから抱きしめられている。
悪趣味な像でも見ている気分だった。
ふと、抱きしめている男に目を留める。
下に向かうにつれ黒から赤に変わっていく、ドレッドヘアの髪。
真っ赤なサングラスに、悪趣味なまでのオレンジのジャンパー。
歓迎するかのように開いている入り口にまで戻る。
「どうしてあんたがここにいる!?」
前々から、彼がこのゲームの発端である事は聞いていた。
しかし、実際にゲームに参加する事はなく、例え参加しても下っ端にまぎれている。
これが、胸騒ぎの原因か。
「どこにいたっていいだろ、水武」
風高火呂。風高水武の、実兄だ。
抱きしめていた少年を放し、近くの下っ端に預けると、真っ直ぐ水武の方に向かって歩いてきた。
「大きくなったなあ、みいくん」
見下すように笑うと、周りの下っ端どもも笑った。
「なあ『悪をもって悪を制す正義の味方』さん?」
そう言う彼に向かって、水武は左の拳を殴りつける
バシン、と火呂の右頬が鳴る。
火呂には避ける事もできるはずだった。
だから、それはきっと故意に避けなかったんだろう。
「強くなったなぁ、水武?」
それだけ言うと、彼も反撃をしはじめた。
乱闘。
死闘。
思い起こしていた。
中学に入ってから、そっちの道に走った兄の火呂。
父親は水武が生まれてすぐに亡くなっていた。
あの人に、なんと報告すれば。と、母は毎日泣き叫んでいた。
そして、酒に溺れた。
あっという間に生活費はなくなり、水武は中学を休んでバイトをしていた。
そのとき俺を支えてくれていたのは?
泥酔した母が交通事故死した時に、俺を支えてくれていたのは?
そんなもの決まっている。
『悪をもって悪を制す正義の味方』って、なんかカッコいいよね。
そう言って笑ったのは、
「水武! 火呂!」
地果姉に決まっているじゃないか。
声が聞こえて、安心し、我を取り戻した俺は、襲い掛かってくる『敵』を適当に受け流して奥へ奥へと向かった。
ダンボールの間に隠れている、おびえた小さな少年。
そっと右手を伸ばす。
「おいで」
顔が怖い、そう言われたことはある。
今ここでも何度か殴られた。
もしかすると、服にも返り血がついているかもしれない。
けれども、少年は、泣き叫びながら俺に抱きついてきてくれた。
コトン、と携帯電話が落ちて、
朱色のプレートのストラップが割れたかと思うと消えてなくなった。
携帯クリーナーが割れたかと思うと消えてなくなった。
しかし、それを理解する間はなかった。
守りたい。
それだけ強く思って、俺は意識を手放してしまったから。
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