彼女はいつも、夢に現れる
バスケットを持ってこう歌う。

勇気、勇気はいかが?
色んな勇気があるよ。

さあ、勇気を買いにおいで。




  勇気屋 F 〜for〜




さあ、お前はどんな勇気が欲しい?

歌が聞こえて、少女はそちらに耳を傾ける。
ふわふわした空間だ。
一体ここはどこだろう。
向こうの方でフードを被ったおばあさんが歩いている。
おばあさん、と判断したのは声と、腰が曲がっているからだ。
それもあながち間違っていないだろう。
静かにそちらに向かって歩き出す。
綿を踏んで歩いているような気分だった。
おばあさんはこちらに気付いたらしく、ヒッヒッヒと笑った。


お前は、どんな勇気がほしいんだい?


意外としっかりした声でおばあさんが言った。
わたしは、わたしは、


お前にはこの勇気をあげよう

迷っているうちにそういって手を差し出すおばあさん。
わたしも、それを受け取ろうと手を伸ばす。



Fの勇気だよ。




 *


ふと、目を覚ます。

疲れていたためか、座ったままうたた寝していたらしい。
そっと、右手で顔をこする。
時計を見てみると、夜中の3時。1時間ほど眠っていたようだ。
んーっ、と軽く伸びをすると、ぬるくなったグレープジュースを口にする。
つい30時間ほど前に警察署の前の自動販売機で手に入れたものだ。
大好きなのだが、グレープジュースはなかなか売っておらず、その紫色の液体を飲んだのは実に1ヶ月ぶりである。
果汁100パーセントなだけあって、甘すぎず、おいしかった。

両脇のベッドに目をやる。
二人の姿を、悲しそうに見つめると、風高かざたか地果ちかは大きく息を吐いた。
地果は小説家の端くれで、今はそれなりに売れている先生のところに下宿している。
ここへ帰ってきたのは、グレープジュースとの再会よりもずっと長い。

半ば逃げ出すようにしてここから去ったのが、3年前。
その、逃げ出した理由は、いくつもあった。

溺れた自分を助けようとして、父が死んだこと。
弟の火呂ひろが非行に走って、責任を感じてしまうこと。
酒に溺れる母に向かって、出てけと叫び、直後に交通事故死したこと。
そしてなによりも水武みずたけの、弟の水武の辛そうな笑顔を見るのがたえられなかった。

逃げ出した後、ずっと後悔していた。
水武をおいてきてしまった事を。 それだけ、を。
いつもからかいあって、いつも励ましあって、いつもお互いのために頑張った。
そんな水武を置いてきてしまったことを。
あのときは、無我夢中だった。
バイトをクビになり、火呂に怒鳴られ、気がついたら地果は、前から目をつけていた『弟子募集中』である小説家の先生の家の前に座り込んでいたのだ。

左窓際の水武の頬をそっと撫でる。
水武も火呂もそんなに重症ではなかったが、数箇所ずつ骨折していた。
昨夜の乱闘のせいだ。
地果は軽く苦笑いをすると、ふと、思い出したように顔を上げた。

そういえば、なにか不思議な夢を見た気がする。
そう、確か、白雪姫に出てきそうなおばあさんがいて…。
何か黒色の包みをくれた気がする。
なんだっけ?
カタン、と音がして足元を見てみる。

黒色のイヤリング

耳から外れてしまったのだろうか、と拾い、銀色のイヤリングの横に付け直した。
ピアスは、体に穴を開けることなので気後れしているのでイヤリングをしているのだ。

「さてと」

低く呟き、地果は額に手を当てた。

「これからどうなることやら」


 *


春の風が吹き始めている。
長く伸びたポニーテールが東になびく。
外の公園に出ると、地果は、弟二人のいるであろう病室を見上げる。
昨夜の乱闘は、どうやら地元暴走族の頭の火呂と、「悪をもって悪を制す、正義の味方」の水武の喧嘩らしい。
二人の大事な弟たちが、喧嘩するほどになったかと思うと、少しだけ微笑ましい気持ちになる。
しかし、怪我をするほどまで喧嘩されるのは少し困る。
地果は苦笑する。

二人が目覚めたら、なんと言おうか。
おはよう?ただいま?
地果は軽く首をひねる。
ひとつ、ビンタでもしてやろうか。
軽く笑って、自分の手のひらを見つめる。
すっ、と腕を上に伸ばし、月に向かってかざす。
黄色の、満月。
満ち足りた、月。
暗闇を照らす、夜の太陽。

「あれ?」

ふと、地果は思い出す。
そういえば、自分は弟たちを殴ったことなんてないのだ。
小学校の時のクラスメイトのスカートめくり常習犯だとか、通勤ラッシュの時の痴漢だとかは殴ったことはある。
しかし、考えてみれば、水武はまだしも、火呂さえも殴ったことがない。

これもひとつの愛情なのかな?
地果はまた苦笑する。
夜の公園で、ノートパソコンを取り出す。
今書いているのは、自分たちをイメージしたベタベタな展開のファンタジーで、誰にも見せるつもりはないものである。


世界を侵食していく闇の世界に入ろうとする兄を必死で止める弟。
勝手にすれば、と見捨て、兄を戻すことのできる光の石を持ったまま、一番上の姉は逃げる。
弟の努力もむなしく、兄は闇の世界の住人となる。
必死で闇の勢力と戦いながら、弟は姉を探す。
姉がいるとの噂を聞けば、竜が住むといわれる険しい山の頂上でも、鬼の住むといわれる地底でも、弟はそこへ出向いた。
しかし、会えなかった。
そして、ついに兄との直接対決が始まる。
闇の力に押される弟。
高笑いしながらも、心がきしんでいく兄。
遠くの塔から、姉は見つめる。
二人の悲しい戦いを見つめる。
光の石を握り締め、見つめる。


この後をどうしようか迷っていた。
 弟は死に、兄は壊れた人形のように世界を侵食していく。
 兄弟ともに朽ち果てる。
 兄弟ともに闇の世界に墜ちる。
その3つの選択肢のどれもで、姉は、後悔するのである。
自分を責め続けるのである。
絶対に、光の石を使わないのである。
他にも、選択肢はいくらでもある。
けれども、簡単にはハッピーエンドにはしたくなかった。
数行を打っては消し、また数行打っては消す。
何度かそれを続けたあと、地果はもう一度病室を見上げた。

バリイィンッッ!!!

ちょうど、地果が見上げた病室だった。
窓がわれ、小さな物体が宙に放り出された。
一瞬、水武か、火呂か、と危惧したがどうやらそれは花瓶のようだった。
ノートパソコンを急いでカバンに戻し、地果は病室へと急いだ。


 *


「やめてください! 風高さん!」

看護師の女性がドアの前で叫んでいる。
きゃっ!と叫んだかと思うと、尻餅をついて転んだ。
反対側の壁に、病室から飛んできたサングラスがぶつかった。
大丈夫ですか? と、夜中云々他の患者が云々と呟く女性を助け起こし、地果は病室をのぞく。
3人ほどの医師と看護師が二人を押さえつけようとがんばっている。

水武と火呂はお互いに罵り合っている。
足を骨折していなかったのがいけなかったらしい。
地果は、深く息を吸った。

「水武! 火呂!!」

大きな声で叫ぶと、二人はこちらを見、急に静かになった。
後ろの女性は、まだ夜中云々他の患者が云々と呟いている。

「やめなさい、夜中にやることじゃないわ」

ドアの横にカバンを置く。
火呂が、ちっ、と大きく舌打ちをした。

「いまさら、逃げた姉貴が何言ってんだよ」
「地果姉……、やっぱり帰ってきてくれてたんだな……」

腕なり体なりを捕まえている医師たちを振りほどき、二人は衣服の乱れを少し直した。
二人よりも、医師たちのほうが息が上がっていた。
実質的には、この病室の被害は少なかった。
花瓶が飛んでいったのと、窓が割れたのと、点滴が切れているくらいで、あとはベッドが少し動いているだけなのだ。

「少し、席をはずしてもらえますか。」

軽くため息をつきながら、地果は申し訳なさそうに言う。

「は? しかし……」
「お願いします。少しだけです」

乱れた息を整えながら点滴を見やった医師たちに、地果は軽く頭を下げる。
驚いたのは弟たちだった。
は? ちょっと……。と声をあげるが、医師たちは出て行った。

「おい、何のつもりだ、姉貴」

火呂は、どかっ、とベッドに座った。
水武も、渋々といった感じでベッドに座る。

「姉、って認めてくれるのね」

苦笑いをして言うと、火呂は舌打ちをしてそっぽを向いた。

「……とりあえず、夜中の喧嘩はやめなさい」

何も、言うことが浮かばなかった。

「地果姉、だって兄さんが……」
「兄なんて呼ぶんじゃねえよ、クソガキ」

申し訳なさそうにしゅんとなる水武に、火呂がガンを飛ばす。
一瞬ひるんだような表情を見せ、水武も睨み返した。

「こら。やめなさいってば」

ふん、と顔を背ける二人。
地果は、転がっている、見舞い客用のいすを起こし、そこに座った。
深呼吸。

「あの、さ。」



3人は出会った。
姉は光の石を持って、言う。

「これは使いたくない。」

弟は、どうして?と叫ぶ。

「あのね、わたしの力で戻してあげたいの。」



「水武のために言うよ。
 火呂のために言うよ。
 わたしのために、言うよ。」



「そんなことできやしないよ!!」

弟が声を枯らして叫ぶ。
姉はそっと首を振る。
そして、闇の世界の住人となり、苦しみ続けた弟に笑顔を見せる。

「あのね。」



「わたしは、水武も、火呂も、大好きだよ。」



耳元で、何かが通り過ぎたかと思うと、

黒色のイヤリングが消えた。
銀色のイヤリングが消えた。


そんなことは、どうでもよかった。
突然のことに驚く二人に、満面の笑みを見せる。

3人は出会う。
3人は笑う。

だけど、だけどね、


そう簡単に、ハッピーエンドにはしてやらないよ。













for、…のために。


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