彼女はいつも、夢に現れる
バスケットを持ってこう歌う。
勇気、勇気はいかが?
色んな勇気があるよ。
さあ、勇気を買いにおいで。
勇気屋 H 〜hold〜
さあ、お前はどんな勇気が欲しい?
歌が聞こえて、少年はそちらに耳を傾ける。
ふわふわした空間だ。
一体ここはどこだろう。
向こうの方でフードを被ったおばあさんが歩いている。
おばあさん、と判断したのは声と、腰が曲がっているからだ。
それもあながち間違っていないだろう。
静かにそちらに向かって歩き出す。
綿を踏んで歩いているような気分だった。
おばあさんはこちらに気付いたらしく、ヒッヒッヒと笑った。
お前は、どんな勇気がほしいんだい?
意外としっかりした声でおばあさんが言った。
俺は、俺は、
お前にはこの勇気をあげよう
迷っているうちにそういって手を差し出すおばあさん。
俺も、それを受け取ろうと手を伸ばす。
Hの勇気だよ。
*
「どうかしたの?」
彼女の声で、はっと目覚める。
目の前には心配そうに俺の顔を覗き込む彼女の姿。
ぼーっとしていたらしい。
「いや、なんでもない」
だったらいいけど、と彼女はオレンジジュースの氷を回した。
俺の名前は亀本明良(かめもと あきら)、17歳高校2年生。
目の前にいるのは鶴永歌奈(つるなが かな)、16歳高校2年生。
いわゆる恋人同士で、付き合って2ヶ月たっている。
今はデートということで、近くの古ぼけた喫茶店に来ている。
歌奈は確かにぎやかなところよりもこういう静かな雰囲気のところのほうが好きなはず。
そう思ってつれてきて、どうやら気に入ってくれたようだったので安心だ。
「聞いてますかー?」
少し頬を膨らませて、歌奈が言った。
こんな姿でさえかわいいと思えてしまうあたり、いわゆるバカップルかもしれない。死語だろうか?
「聞いてる聞いてる。日本史の鈴木の目つきがエロイんだろ?」
「そうなの。何かセクハラまがいの子とされた子もいるらしくって……」
俺はもっぱら聞き役。
そもそも、カップルで男のほうがよくしゃべる、って話も聞かない。
俺が喋ってもよいのだが、話が苦手なため脈絡がおかしくなり、きっと歌奈もつまらないだろう。
歌奈の話を聞いているのが苦痛なわけでもない。
とても楽しい時間である。
そういえば、白昼夢とでも言うのか、先ほど夢らしきものを見ていた。
そう、確か、白雪姫に出てきそうなおばあさんがいて…。
何か瑠璃色の包みをくれた気がする。
「あれ? 明良ってそんなブレスしてたっけ?」
ふと、歌奈が俺の腕、正しく言えば手首の方を指差した。
テーブルより高く、歌奈によく見えるようにあげた。
左手の中指には、最近買ったお気に入りの指輪をしている。
そして、その問題のブレスレット。
瑠璃色の、金属でできているらしい2つのブレスレット
動かすと、その2つのブレスレットが当たり、カシン、と音を立てている。
シンプルなその輪達は、手首で自由気ままにゆれている
「最近買った」
「へー、かわいいね。あ、そういえばこの前りーぴょんとさ……」
そのまま、歌奈はブレスレット、否俺のことには触れずに小一時間ほど喋り続けていた。
*
「あ、ねえこの曲、この前マンションのところで誰かが歌ってた曲じゃない?」
歌奈が俺に振り返って言った。
道端。
きょろきょろと見渡すと、彼女の指差している方向、電気屋のショーウィンドウに飾られたテレビから、その問題の曲は流れているようだった。
ふーん、と頷きながら、はて? と考える。
歌奈は、マンションのところで誰かが歌っていた、と言った。
しかし残念ながら知らない。
俺と歌奈は同じ町に住み、中学校も一応同じだったが、家が近いかと言われればYESとは答えられない。
簡単に言えば、彼女が通学路にしているかもしれないマンションの近くを、俺は通らない。
まあ、せっかくの話に水を差すのもなんなので、曖昧な返事を返しておいた。
歩きながらもぺちゃくちゃと喋っている歌奈。
街を歩き、気に入った店に入る、というデートを行っているはずだが、歩きながら喋る、というように趣旨が変わっている。
別に、俺は構わない。
やはり歌奈は楽しそうだし、俺も楽しくないわけではない。
しいていうなら、どこかで曲がらないと、そのうち店の立ち並ぶ街並みから出てしまう。
どうしたものか。
「あ、ねえあの店行ってもいい?」
突然歌奈が指差したのは、向こう側の通りにある、どうやらぬいぐるみの店のようだった。
男だけで行くような店ではないが、カップルでなら入れる店だ。
「うん、わかった。っと、渡るには……」
向こう側の店を見、右と左を見る。
左、つまり先ほどの進行方向にある横断歩道のほうが近かった。
「向こうの信号で渡ろうか」
「うん」
ああ、この雰囲気は。
ふとそう感じる。
カシャン、とブレスレットがゆれた。
そして俺は彼女の手を取る。
恋人つなぎ、というそれではないが、手をつないだことには変わりがない。
つまり俺は確かに緊張しているし、突然のことだからか、それとも嫌なのか、それはわからないが、歌奈も驚いていた。
しかし、彼女はすぐに笑った。
「行こ」
拒絶されなくてよかった、とほっと一安心する。
しかし、人前でこうして仲良く手をつないでいるというのは、なかなか恥ずかしい。
つないでいる手を隠すかのように寄り添う。
歌奈にはそれの方が恥ずかしかったらしい。
寄り添っては離れ、寄り添っては離れ、を繰り返した。
隅、これ以上歌奈が離れれば、茂みと一体化してしまう、というところまで来てしまった。
ふっふっふ、これでもう逃げられまい、と、悪の帝王のような、それでいて子供のような考えをしていると、手を離し、歌奈はするりと俺の前に躍り出た。
「押さないでよ、歩きにくい」
ここでまさか、手をつないでいるのが恥ずかしい、という訳にもいくまい。
では手をつながなければいい、もしくは、男のくせに女々しい、と言われてしまうかもしれない。
「うん、途中から楽しくなって……」
子供のような台詞だが、実際俺も歌奈も子供だ。
それ以前に、そもそも俺はよく「子供っぽい」馬鹿にされるたちだ。
はいはい、と少しだけ諦めたように呟くと、歌奈は横断歩道の手前で止まった。
つまり、もちろん赤信号だ。
押しボタン式だったので、競うように押した。
結局押したのは歌奈だった。
左右を往来する道路の信号が、黄色に変わる。
しかし車はまだ止まらない。
こんなところで止まりたくないのだろうが、黄色信号では止まらないといけないはずだ。
赤信号になると、数台が急いで抜けていく。
そして、歩行者用の信号が、青色に光った。
「あおー」
歌うように言って、横断歩道の白いところだけを踏んで飛ぶ歌奈。
しかし、俺は横断歩道に一歩踏み出して、硬直した。
一種の、金縛りに似たものだった気がする。
回りの動きが、スローモーションになる。
この地鳴りは? トラックが来る音。
そのトラックはどうなる? ここへ来る。
歌奈は? 轢かれて、死ぬかもね。
しかも歌奈は気付いていない。
ああ、と手を伸ばしかけるが、とっさにうまく体が動かない。
左手が中途半端に伸びている。
カシャン、と瑠璃色のブレスレットが音を立てる。
その音でスローモーションが終わり、いつもどおりの時の進み方に戻る。
それと同時に、俺は左手をめいっぱい伸ばし、歌奈を引き寄せた。
突如に響く、パッパーッ! という激しいクラクションの音。
すさまじい勢いで、目の前をトラックが過ぎていった。
「ご、ごめん。ありがとう……」
通り過ぎたトラックの背中を見つめ、呆然としながら歌奈が呟く。
轢かれかけたのだ、放心しても仕方ない。
しかしながら、自分も寿命が縮まったかと思った。
はあ、と一息つきながら、左手を額に当てた。
カシャン、と音を立てて、ブレスレットが砕けるように消えた。
その音と同時に、中指の指輪も、砕けるように消えた。
hold …を持つ、にぎる、つかむ
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